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夏の地蔵院へ行って来ました。ここは、通称・竹の寺と呼ばれ、美しい竹林が広がる寺院です。
地蔵院は、竹林だけでなく夏季には青もみじや苔の緑も美しく映えています。
地蔵院へは、阪急・上桂駅から徒歩約12分。
近くには、鈴虫寺や西芳寺も徒歩約10分ほどの地にあります。
京都の右京から西京、向日市や長岡京市、大山崎町等にかけては、
古くから竹林が多い地域です。
山門から入ると、すぐに本堂へ向かう緩やかな坂となった参道があり、
美しい竹林が続きます。
地蔵院と言えば晩秋の紅葉が有名ですが
夏の緑の美しさも素晴らしいです。苔と、もみじと竹林の緑が凄く綺麗です。
ここは、幼少期の一休さん(後の一休宗純禅師)が過ごしたお寺でもあります。
一休さんは、室町時代の明徳5年(1394年)この地で誕生しました。
その当時の朝廷は、南朝と北朝に分かれていたそうですが
地蔵院開基でもある細川頼之の尽力で、北朝に統一されました。
一休のお母様は、北朝、後小松天皇の寵愛をうけ身籠りますが、南朝の高官の血筋だったため、
難を逃れるために御所を去ります。
そして細川頼之の奥方の御縁を頼りに地蔵院・寺領地内の民家で明徳5年(1394年)御子を出産しました。
千菊丸と名付けられた御子が後の一休宗純禅師です。
その後、6歳で安国寺(京都市四条大宮にあった臨済宗の寺院)に入門するまで、この地で幼少期を過ごされました。
母子像の銅板には……
「一休が生まれたこの地は、ここ地蔵院のあたりらしい。
このあたりは竹藪の深い森が多い。地蔵院も「竹の寺」と呼ばれていた。
御所を追われた母子が暮すにふさわしい場所といえよう。
縁側に腰かけていると母に手をひかれた一休が、いまにも現れるように思えてならない」
水上勉「一休を歩く」より
境内奥にある方丈(京都市登録有形文化財)では、
細川護熙元総理大臣揮毫の書「海南行」の襖が公開されていました。
海南行 <細川 頼之>
人生五十 功無きを愧ず
花木春過ぎて 夏已に中ばなり
満室の蒼蠅 掃えども去り難し
起って禅榻を尋ねて 清風に臥せん
厳しい暑さが続く京都ですが、地蔵院には苔ともみじと竹林の織りなす
美しい緑の世界が広がっています。