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こんにちは。東伯郡琴浦・鳥取特派員「miumiu」です。
古くから都と因幡(いなば)を結んだ街道が通っていた用瀬町(もちがせちょう)は、「流しびな」で有名ですが、かつて参勤交代に訪れる大名たちの休憩所・宿場町として賑わうようになったそうです。また、三角山(みすみやま)山頂にある鋒錫大権現(ほうしゃくだいごんけん)へ多くの修験者と参詣者が訪れたそうです。まち歩きをしていると昔の名残りを見ることができるけぇ当時どんなだっただらぁか~? と想像しながら散策をするといつもと違ったまち歩きを楽しめますネ。
鳥取県民でありながら用瀬町(もちがせちょう)に出かけて散策することが初めて!! なので、わくわくしながら用瀬町の玄関口に到着。かつて、鳥取藩領域警護のために設置された「番所(跡)」がこちら。
慶応元年(1865年)から明治4年(1871年)まで番所が置かれ御藩士6人、下番人4人が配置され通行人や荷物の検査が厳重に行われたそうです。また、参勤交代の休憩地で因幡街道を通る700人前後の行列がお昼前に「番所(跡)」の前を通ったそうですよ。それから、参勤交代の宿泊地の智頭宿へ向かっただらぁか?! と想像すると面白い~。
当時、大きな一本松があって「番所松」とも呼ばれていましたが、鉄道開通の際に切られてしまったそうです。
松尾芭蕉をはじめ、多くの俳人、歌人が句を残しているのでまち歩きをしていると句碑を見かけることがあります。「番所跡」にある松尾芭蕉句碑、建立者は不明ながら因幡地方で最も古く「夏来てもただ一つ葉の一つかな」と刻まれとりまして句意は、「夏が来てすべての草木が生い茂っているのに、一つ葉だけでは相も変わらず一枚の葉を捧げ持っていることよ」と一つ葉に哀れを感じて吟じています。
ちなみに、今回の用瀬散歩用瀬どこだらポイントMAPを片手にまち歩きをしましたが「番所跡」を後にして愛宕山(あたごさん)公園、また、文学の小径に向かいたい気持ちもあっただけど、お腹がペコペコだったけぇ腹ごしらえしたい気持ちでいっぱいだったに!!
ですけぇ、まずはお腹を満たしましょう♪
用瀬町(もちがせちょう)の玄関口「用瀬駅」大正8年(1919年)開業。
現在、無人駅ですが、かつては駅員が常駐し切符を販売していたんだろうなぁという名残りを見ることができます。
待ち時間に読書なといかがかえ?
駅舎内には、昔の写真を見ることができ「用瀬駅」の歴史を知ることができます。
あ!! 列車がやってきた!!
青空の下で国鉄時代の車両がよく映えたが~。さぁ、列車を見送ったら腹ごしらえしましょいで~!!