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こんにちは。東伯郡琴浦・鳥取特派員「miumiu」です。
古くから都と因幡(いなば)を結んだ街道が通っていた用瀬町(もちがせちょう)は、「流しびな」で有名ですが、かつて参勤交代に訪れる大名たちの休憩所・宿場町として賑わうようになり、三角山(みすみやま)山頂にある鋒錫大権現(ほうしゃくだいごんけん)へ多くの修験者と参詣者が訪れたといわれています。
まち歩きをしていると昔の名残りを見ることができるけぇ「当時どんな生活をしとんさっただらぁか~?」 と想像しながら散策をすると新しい発見があったりいつもと違った目線でまち歩きを楽しめますネ。それでは、かつて旧因幡街道宿場町として栄えた街道筋を歩きましょう。
残念ながら、かつてメインストリートとして賑わった街道には当時を思わせるような家屋はほとんど残っていませんが、瀬戸川のおだやかな流れを眺めながら「かつて、賑わっていた頃も人々が瀬戸川の流れを楽しみながら歩いたんだらぁか?」と歴史を感じながら今も残る街道をのんびり歩くのもええもんです。
この日は、イベント出店でお休みされとりましたが「JR用瀬駅」周辺に隠れ家的なお店があるという新たな発見があって嬉しかったなぁ。また、お出かけの楽しみができました♪
瀬戸川沿いに石橋が架かっていたり、古い蔵があったりとかつての賑わいを感じながら歩き進めると「瀬戸川のいと場と水車跡」に出合いました。「いと場」とは、水汲みや洗い物など生活する上で必需的な場所で水車も設置され、最盛期17基の水車が精米、製粉など稼働をしていましたが電動機の導入により姿を消していったそうです。
「瀬戸川水車設置跡」を後にして程近いところに「お茶屋本陣跡」の石碑を見かけました。
「御茶屋」とは、大名の宿泊または休憩に使用されたところ。用瀬町の玄関口、「用瀬番所(跡)」の前をお昼前に通ったそうですけぇ、こちらで宿泊、また休憩されただらぁか? それから、智頭町(ちづちょう)へ向かいなったとか? 江戸までの道のりを考えると「遠いでな~」と気が遠くなりそうになりながら歩き進めます。
千代川(せんだいがわ)川岸の渡し場に通じ、かつて「佐治街道」沿線の瀬戸川に架かる石橋は江戸時代の貴重なもので、この石橋を渡った先に「佐治街道」の石碑を見ることができます。
瀬戸川沿いの景色を楽しみ歩きながら足元を見ると、用瀬町(もちがせちょう)のマンホール。流しびなの館と、千代川にかかるひいな橋、外周に町の花のモモの花が描かれています。また、上部に「汚水」下部に「もちがせ」と表記されています。マンホールアートは、ご当地でしか見ることができませんけぇ足元にもご注目だぁで!!
慣れない用瀬町(もちがせちょう)を「用瀬どこだらポイントMAP」片手にまち歩きをしましたが、各所目印的な案内が設置されていました。案内を目印にあっちこっちと歩いてみるもの楽しいかも。
また、「右 さんげんざか、左 文学の小みち」と昔の道標(道しるべ)風なものもあってグッときますネ。さぁ、この先、池田家の揚羽紋と九曜の社紋が並ぶ由緒ある「東井神社」に向かいましょう~。