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【岡山】真庭にも「山の辺の道」が! ~真庭市北房エリア~

mami

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岡山特派員

更新日
2025年1月23日
公開日
2025年1月23日

髙岡神社を目的に北房エリアに来たところ、思いがけず「これより山の辺の道」という標識に出くわしました。山の辺の道と言えば奈良の古道ですが、なぜこんなところに山の辺の道が…?と地図を確認すると、この辺りには大小250基以上もの古墳が点在しているのでした。地理的にも吉備文化と出雲文化が接したため、高度な文化が栄えたのでしょうか。

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どうやらこの山並みのすそ野に古墳群が広がっているようです。山の辺の道は全長5.2㌔ほどのアスファルトの道で、古墳も標識があるので迷うことはありません。

 

定古墳群

まずは、国の史跡「定古墳群」です。ここには、定西塚(さだにしづか)古墳、定東塚(さだひがしづか)古墳、定北塚(さだきたづか)古墳、定4号墳、定5号墳の5基の古墳群が確認されています。

 

  • 定西塚古墳と定東塚古墳
  • 定東塚古墳の石室入口

左が定西塚(さだにしづか)古墳 右が定東塚(さだひがしづか)古墳です。 かつては前方後円墳の「定古墳」と想定されていましたが 発掘の結果、方墳2基であることが判明したそうです。

玄室内には土師質陶棺、釘付木棺が残り、石室内から武器・馬具・須恵器・土師器などの副葬品が出てきました。これらの発掘で見つかった遺品は北房ふるさとセンターで見学することができます。

 

さらに丘陵の上には定北古墳があるようです。すぐ上かな?と、思って登ってみましたが、中々見えないので…熊が出ても嫌なので途中でやめておきました。人もいないので、熊よけの鈴など音の出るものを持っていくのがいいでしょう。定北古墳の上に定4号墳定、5号墳もあると思います。

 

大谷1号古墳

山の辺の道から国道313号に出てると「大谷(おおや)1号墳」への案内板があります。国道313号を西に入ると駐車場があり、そこから車1台が通れるくらいの道を登っていきます。道の両側には句碑がたてられていますが、ちょっと、日の当たらない寂しい道です。冬眠をしていない熊が出てこないことを祈りながら登ります。

 

古墳の前に「山の辺の道」の地図がありました。国道313号線の近くには、大谷3号墳もあるようですね。車だったので気がつきませんでした。

 

ふり返ると大谷1号墳!
発掘後、復元されて丘陵の斜面にあります。こんな辺鄙な山奥にも吉備地方を代表する首長墓があるなんて、よっぽどの交通の要所だったのでしょうね。中国山脈はたたら製鉄が盛んだったので、出雲地方とも交流があり多くの人が行き交っていたのかと勝手に推測してみます。

 

  • 大谷1号墳
  • 3段の墳丘
  • 石室入口

3段の墳丘と前面に2段の基壇があって、今までお目にかかることのなかった形状です。石室の入り口は両袖式の横穴式で、切石を積み上げて築かれています。
すでに盗掘済みだったそうですが、奥壁に沿ったところに金銅装環頭大刀と金銅製品が盗掘から免れていたそうです。これらの副葬品も北房ふるさとセンターで見ることができます。特に『双竜環頭大刀』は展示品の中でも一級品だそうで、全面に金箔が貼ってあり、柄の飾りには向かい合って玉を咬む2匹の竜が施されています。

 

古墳を上から写してみました。斜面に築造されてるのがよくわかります。古墳時代終末期の吉備地方を代表する首長墓で、被葬者は明らかでありません。

壬申の乱で功績を挙げた後吉備大宰(きびのおおみこともち)になった石川王(いしかわのおおきみ)とする説も挙げられていますが、そうなると吉備豪族の首長墓ではなくヤマト中央政権から吉備を治めに来た皇族の墓になってしまいます。こんな風に古墳の中を自由に歩き回ることもできなくなりますね。

今回は大谷古墳~定古墳群付近を巡りましたが、山の辺の道を北上すると全長88mの「立1号墳」、69mの「2号墳」などもあります。暖かくなったら高岡神社の龍王山と共に山の辺の道、5㌔を歩いてみたいと思います。

 

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