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【京都】光秀ゆかりの地に建つ「福知山城」

Akio

Akio

京都特派員

更新日
2025年1月27日
公開日
2025年1月27日
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福知山城の歴史

京都府福知山市に建つ福知山城に行って来ました。
福知山城は市内の小高い丘の上に建っています。

天正7年(1579年)頃、丹波国を平定した戦国武将・明智光秀によって築かれた城です。

明治6年(1873年)の廃城令により石垣と一部の遺構を除き大部分が取り壊されましたが、

昭和61年(1986年)に、市民の瓦一枚運動などにより天守閣が復元され今に至っています。

福知山城の初代城主である明智光秀は、美濃国(今の岐阜県)で生まれたと言われ

織田信長に仕えると、その卓越した才能を発揮し、織田家の中でも異例の出世をしました。

1579年(天正7年)に織田信長の命を受けると丹波一帯を平定。
この地にあった横山城を改築し福知山城と改名しました。

織田信長の天下統一に多大なる貢献をしていますが、その後、謀反を起こし、

本能寺の変にて織田信長を討ちました。

お城の前には福知山城公園観光駐車場 8:30~23:00(無料)があり、昇龍橋を渡って
お城の方へ向かいます。

福知山市は明智光秀ゆかりの地として、様々な歴史文化が残されています。

明智光秀は、福知山を発展させるため、地子銭(宅地税)を免除し、

楽市楽座を設けるなど経済発展にも力を入れました。

現在に至る福知山の発展の基礎を築いた人物として、光秀は今でも福知山市民に慕われています。

野面積み(のづらずみ)の石垣

福知山城天守台の石垣は、光秀が築城した当時の面影を伝えています。

一見乱雑に見える石垣の積み方ですが「野面積み(のづらずみ)」と呼ばれていて、

自然石を巧みに組み合わせたものです。

また石垣には、転用石と言われる五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの石材も数多く使われています。

織田信長に関わる城に共通する特徴でもありますが、この地の旧勢力の象徴でもあった

寺院を破壊し、石垣に組み込むことで支配を示そうとしたものとも考えられています。

「豊磐井」(とよいわのい)

天守の入口前には「豊磐井」(とよいわのい)と呼ばれている大きな井戸が残っています。

井戸の深さは50m(お城の中にある井戸としては日本一の深さ)です。

お城にとって水は大切な条件ですが、戦国時代に硬い岩盤を深く掘さくした井戸として完成させた

技術は素晴らしいです。

福知山城の 天守閣は、 望楼型の独立式を基本として復元され、初期天守閣の特徴がよく

再現されたものとなっています。

天守閣最上階の望楼から城下を一望することが出来、内部では福知山城と明智光秀関連の

資料が展示されています。

福知山城は桜の名所でもあります。

例年の見頃は4月上旬~4月中旬です。お城内の約30本のソメイヨシノが咲き誇ります。

福知山城
所  京都府福知山市内記5

開館時間 午前9時00分~午後5時00分(入館は午後4時30分まで)
休館日  毎週火曜日(祝日の場合は翌日)

入館料 おとな 330円 290円 こども 110円 90円

駐車場 福知山城公園観光駐車場 8:30~23:00 (無料)

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