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【京都・伏見】坂本龍馬が躍動した幕末の動乱を今に伝える史跡を訪ねる

乙な京都™

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京都特派員

更新日
2025年3月18日
公開日
2025年3月18日
幕末維新史を語る上で欠かせない名所・寺田屋

日本有数の酒処として知られる京都伏見は、坂本龍馬ゆかりの地としても有名です。伏見区内には多くの幕末の歴史にふれるスポットが点在していますが、今回は寺田屋騒動の舞台となった寺田屋をご紹介します。坂本龍馬や幕末の志士達が躍動した歴史舞台を訪ねてみませんか。

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幕末を揺るがせたふたつの寺田屋事件

幕末維新史で有名ないわゆる寺田屋事件は、ふたつの事件をさすのをごぞんじでしょうか。ひとつは1862年(文久2年)、寺田屋に滞在していた尊皇攘夷の過激派志士が弾圧された事件です。寺田屋に隣接する広場前にある京都市の高札に「寺田屋騒動址」として詳しく書かれています。

1862年(文久2年)の寺田屋事件を解説する高札

もうひとつは1866年(慶応2年)に起きた伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件です。投宿中の坂本龍馬が、のちに妻となるお龍の機転によって襲撃の難を逃れたというエピソードは有名ですね。

  • 史蹟寺田屋の碑
  • 伏見寺田屋殉難九烈士の碑

歴史の息吹と刀痕が今に残る寺田屋

では実際に寺田屋に潜入してみましょう。趣のある玄関を入ると龍馬のタオルや書籍などのグッズが所狭しと並んでいます。急な階段を登ると龍馬の部屋『梅ノ間』があります。掛け軸の肖像画は、坂本龍馬の身に忍び寄る殺気を感じた女将お登勢が嫌がる龍馬に勧めて町の画家に描かせたもの。計らずも絶後の絵となり、京都円山公園の銅像のモデルとなりました。さらに龍馬が使用したとされるピストル模型などを見ていると、柱に残る刀痕や弾痕を発見! 100年以上の時を隔ててはいますが、坂本龍馬やお龍がいた空間に自分がいると思うと、感慨深い思いがします。

龍馬が襲撃を受けた部屋『梅ノ間』

寺田屋はここから淀川までを行き来する船旅の観光客で賑わった船宿であり、薩摩藩の定宿として繁盛したとのことですが、実は今も『梅ノ間』を除く5部屋に宿泊できるんです! 別の階段(昔白刃の裏梯子)を降りると、お龍さんが入ってたと伝わるお風呂があります。和室を通って、最初の受付コーナーに戻ります。

坂本龍馬像やお登勢明神を祀る広場

寺田屋の建物の隣は京都市が所有する広場になっています。広場の奥にあるのは殉難碑で有栖川宮熾仁親王の筆になる篆額が掲げられています。その前には小さいですが存在感のある坂本龍馬像が静かに今の時代を見つめています。また、寺田屋の女将だったお登勢を祀るお登勢明神があり、良縁成就のご利益があるそう。コンパクトながら見どころ満載な空間で、幕末の志士に思いをはせてみては。

  • 坂本龍馬像
  • お登勢明神

■寺田屋
住所:京都市伏見区南浜町263
電話番号:075-622-0243
アクセス:京阪電車本線「中書島」駅から徒歩約5分、市バス「京橋」から徒歩約1分
営業時間:10:00〜16:00(15:40受付終了)
定休日:1/1〜1/3・月曜日不定休
入館料:大人600円 中・高・大学生300円 小学生200円(1団体30名以上で割引料金適用あり)
【宿泊のご案内】
電話番号:075-622-0252(10:00〜20:00)
宿泊料:素泊まり6500円(朝食付き/別途500円)
予約制:1か月前より受付
時間:IN/18:00(門限20:00) OUT/9:00(翌日)
※酒類・食品の持ち込み厳禁。全館禁煙・禁酒。

 

今回の「乙な京都™」はいかがだったでしょうか。歴史や幕末好きな方ならごぞんじだと思いますが、京都市は「寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである」と紹介しています。しかし、最新の歴史考察では再建というよりも焼け残った部材を用いた移築の可能性もあるとか。興味のある方は、令和の“寺田屋事件”を追ってみてはいかが。

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