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新潟市民に「新潟市のシンボルは?」とたずねたら、おそらくは全員がちゅうちょなく「萬代橋(ばんだいばし)!」と答えることでしょう。日本一の大河信濃川―その河口にある萬代橋は2004(平成16)年に国指定の重要文化財となりました。また、初代萬代橋ができた1886(明治16)年から139年経った今も新潟市民の生活道路であり続けています。現在の萬代橋は三代目にあたり、1929(昭和4)年に竣工しました。新潟市民が愛してやまない萬代橋周辺を歩いてみました。
萬代橋は全長約307mで新潟市の東西を結ぶ重要な道路です。片側2車線の道路を一日当たり2万3000台もの車が行き来しています(出典 令和3年度全国道路・街路交通情勢調査)。昭和初期の地方都市にそれだけ広い道路が必要とされるケースは少ないはずです。実は路面電車を走らせる計画で、橋の幅も広くしました。路面電車は幻に終わりましたが、そのために竣工から96年経た現在でも現役なのです。
萬代橋は鉄筋コンクリート製ですが、表面に施された花こう岩(かこうがん)の化粧張りで美しさと重厚さをかもし出しています。何よりも橋を強く印象付けているのが「6連アーチ」です。中央アーチが最も大きく、両岸へいくにしたがって小さくなっていることによって、安定感とリズム感が生まれ美しく見せる役割を果たしています。
アーチ橋になったのは23(大正12)年の関東大震災の際に、被災地でアーチ橋の被害が少なかったということから採用されました。実際に64(昭和39)年に起きたマグニチュード7.5の「新潟地震」では、信濃川にかかるほかの橋が落橋するなど大きな損傷を受けましたが、萬代橋は一部に被害はあったものの市民の避難や復興の大動脈として活躍しました。
東の新潟駅側から西の新潟島側に向かって橋を渡り始めると、視界をさえぎるものがなくなり、空の広さに感動を覚えます。ゆったり流れる信濃川の上にはどこまでも広がる大空―思い切り背伸びをしたくなるような開放感を味わえます。
また「信濃川ウォーターシャトル」の水上バスに乗って川から街を眺めると、視覚が変わってとても新鮮です。特に暗くなってから乗船すると外国の都市にいるような錯覚さえ覚えます。
新潟島側の左岸にある「オークラホテル新潟」の緑地帯に「千二百十歩なり露の橋」と刻まれた俳人高浜虚子の句碑があります。
虚子は24(大正13)年9月11日、早朝に萬代橋を散歩した時にこの句を詠んだそうです。現在の川幅270mですが、虚子がこの歌を詠んだころは3倍近い770mもあり、橋を渡るのに徒歩で10分もかかったそうです。西詰はほぼ現在の位置ですが、東詰めはどこだったのでしょうか?それを確かめるためには400mほど新潟駅方向に逆戻りします。新潟駅の見える「流作場五差路」には高さ2mほどの親柱の複製があります。ここがかつての萬代橋東詰めです。
「新潟伊勢丹」や「ラブラ万代」など商業施設が立ち並び、にぎわっている「万代シテイ」も、かつては“信濃川”だったということになります。
また万代シテイにある「万代クロッシング(地下横断歩道)」建設の際に見つかった初代と二代目萬代橋の基礎杭をはじめ、萬代橋に関する資料がクロッシングに展示してあるので、こちらも必見です。
高浜虚子の句碑と道路を隔てて歌謡曲「新潟ブルース」の石碑があります。「思い出の夜は霧が深かった今日も霧が降る萬代橋よ」の歌いだしはあまりにも有名です。67(昭和42)年に美川憲一さんや黒沢明とロスプリモスが歌い、ヒットしました。新潟県出身の山岸一二三さん、之起さん兄弟が作詞・作曲したいわゆるご当地ソングですが、新潟市民はもちろん、新潟に赴任してきたサラリーマンらに今も歌い継がれています。歌碑は89(平成元)年の新潟市政100周年を記念して建てられました。
萬代橋の歴史と魅力を書いてきましたが、県外から来た人が、新潟市民に萬代橋を「どの角度から見るのが一番?何時ごろ?季節はいつ?」と尋ねると、「夕暮れか早朝」「川の上から」「吹雪の日」さまざまな答えが返ってくるでしょう。しかし、それが萬代橋なのです。その時の気持ちによって見え方が違い、好きな角度も変わる―そんな表情豊かな橋が萬代橋なのです。
■国土交通証北陸地方建設局新潟国道事務所(萬代橋所管)
住所:新潟県新潟市中央区南笹口2-1-65
電話:025-244-2159
ホームページ:https://www.hrr.mlit.go.jp/niikoku/index.html
※原稿の歴史的経緯については同事務所発行の「知れば知るほど萬代橋⁉ 萬代橋歴史読本」(平成17年3月)を基に執筆いたしました。
■信濃川ウオーターシャトル株式会社
住所:新潟市中央区下大川前通二ノ町2230-33 万代橋ビルヂング11階
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