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皆さんგამარჯობა(ガーマルジョバ:こんにちは)!
さてメスティアにはスヴァンタワーと言われる塔が沢山あり、これらがユネスコ文化遺産であることはお伝えしたかと思いますが、今日はそんな塔の中でも一風変わった逸話を持つ塔についてご紹介します。
そもそもスヴァンタワー(სვანური კოშკი:Svanuri Koshuki)とは、スヴァネティ地方に見られ、9世紀から12世紀の間に建てられた塔になります。その目的は外敵から身を守ったり、塔の中から監視をする防御目的にありました。
また元来スヴァネティ地方の中世の習わしの1つに、当時村は強固な村(家族)社会で成り立っており、外敵といえども外国からの侵略者だけでなく、他の村民や他家族が食料を盗む目的などで、家を襲ってくる場合があったそうです。
そうなった場合には、その盗人を捕まえて家主は復讐をするのが中世のスヴァネティ文化で、復讐をされた家(盗人の家族)がまた復讐をし返し、また復讐をし…といったように復讐の連鎖が生まれ、その復讐の際に塔に逃げ込むといったことが文化としてあったようで、このスヴァンタワーは、別名”復讐の塔”とも呼ばれています。
実際一部の塔には、塔内部に今でも牢屋として使われていた小部屋があるのです。
秘境で食料も豊かに育たない地形だった故に、疑心暗鬼になる構造だったのかもしれませんね。
塔には、お家の母屋にくっついてる併設型の塔や、独立タイプの塔など様々あり、スバネティ地方にはおよそ3,500塔が存在していると言われています。また面白いのは、スバネティの中でも地域によって塔の作りが異なっていたり、また塔の色で、何世紀頃に建てられたものかが分かるのです。
例えば、この写真の塔は、ウシュグリ村にあるムルクメリという地域にある伝統的な塔ですが、黒い石で出来た塔(白い塔の奥)は9世紀に作られたもので、最も古いものになります。また高いもので28m~30mになります。
集落の中の各家庭に大体塔は備わっているので、密集して塔は立っており、遠くからその様子を見ると、スバネティ地方に来たんだなぁとより感じますし、筆者は車でメスティアに向かっている道中に窓から塔のかたまりが見えると、もうすぐ到着するぞ!という気分になります。
こうした塔から読み取れる特殊な社会構造と風景との調和などから、これらの塔が多いUpper Svaneti地方がユネスコの世界遺産に登録されているのです。
そんなスヴァネティの塔には、冒頭でもお伝えした通り、”愛の塔”と言われる一塔だけポツンと立っているスヴァンタワーがあります。
この塔があるのは、メスティアからウシュグリに向かう道中。メスティア市内から車で40分程進んだ場所になります。
筆者は以前にもウシュグリに来た際に、この塔の横を通って村に向かっており、いつも観光客の方が一塔しかないその場所に車から降りて散策されている姿を見ており、”有名な塔なのかな?”と横目に見ておりました。
今回初めて、立ち寄ることができました!!
この塔は3階建てで、中の構造は他の塔とは変わりませんが、その塔にまつわるストーリーが有名だそうで、
色んなお話があるものの、1つ有名なものには、ある女性が既婚者であった男性とお互い両思いで恋をしてしまったものの、その恋は絶対に実らない事に嘆いた男性はエングリ川に身を投げて自殺してしまいました。
その後、その事実を知った女性は、1人籠るためにこの塔を建てて生涯住み、最終的には塔で自殺をしてしまったというものです。そして塔の下には小さな泉があるのですが、それはその女性の涙だと言われています。
また他の伝説では女性も男性の後を追い、川で自殺を図り、その二人の亡骸が発見された場所に祈りをこめて塔を建てたなど様々ありますが、どれも悲しいお話ばかりの愛の塔です。
てっきり”愛の塔”という名前から、この塔に行けば、恋が実るとかそういう言われがある名所なのかと思っていましたら、全く正反対でしたので筆者は驚きました。愛の南京錠みたいなものがあるのかと勝手に思っておりました。
しかしながら悲しい伝説のある塔ですが、周りには色とりどりの花が咲いておりとっても美しいのです。
また偶然に咲いていたのか?誰かが植えたのか分かりませんが、綺麗な勿忘草が沢山咲いていました。
勿忘草の花言葉は、”真実の愛”や”私を忘れないで”という意味が世界的にあるので、ぴったりなお花ですよね。
さて、愛の塔以外にも塔それぞれにも様々なストーリーがあり、場所によっては今の持ち主の方が丁寧に説明してくださる場所もあります。
悲しいストーリーが多いスヴァンタワーですが、その歴史や背景にも耳を傾けながら散策してみてくださいね。