雪雲

雪雲

新潟特派員

更新日
2025年12月16日
公開日
2025年12月16日

新潟県燕市というまちを知らなくても、日本全体、そして日本のみならず世界中の人々はこのまちなしでは生活できません。というのも、燕市はスプーンやフォークなど金属洋食器、鍋やフライパンなどの金属ハウスウェアなどの国内主要産地で、金属洋食器は国内生産シェアの90㌫以上を占めているからです。「ものづりのまち燕」の歴史と技術、そして芸術性を知るために「燕市産業史料館」を訪れました。

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©︎雪雲 燕市の金属加工産業のすべてが詰まった産業史料館

始まりは江戸時代の和釘生産

燕に金属加工が生まれたのは江戸時代初期。信濃川とその分流の中ノ口川にはさまれた燕は洪水に苦しめられていました。そこで農民が副業として始めた和釘づくりが燕市の金属産業の原点です。

スプーンの製造工程から「ものづくりのまち燕」の“顔”を見ていきます。金属板からいくつかの工程を経て、スプーンの形にカットします。それを「金型(かながた)」に入れ大きな圧力をかけるプレス機で立体にします。

この技術は、江戸時代に板状の銅板を金づちと木づちでたたいて器を作る「鎚起銅器(ついきどうき)」から生まれました。

©︎雪雲 一枚の銅板(左)がやかん(右奥)に変わっていく

なお、この地域では、ほぼ同じころから鎚起銅器のほかに、キセルや矢立の製作をする技術が確立していました。1911(明治44)年、燕に初めて東京からスプーン製造の依頼が入ったときは、真ちゅうの板を木の型に入れて、鎚起銅器のように手作業でスプーンを作っていたそうです。

手作り時代のスプーン

大正期に入ると、キセル製作は機械で大量生産をするようになっていきます。このとき生まれたのが「金型(かながた)」加工技術です。その後スプーンも金型を使った機械生産に切り替わります。

©︎雪雲 手作り時代のスプーンの製造工程。左から順々に成形していく
©︎雪雲 30人の職人が半年がかりで制作した高さ1㍍、重さ50㌔もの鎚起銅器。もちろん一枚の銅板から造られている

燕市が生んだ人間国宝による「木目金」

鎚起銅器は時代が進むにつれ、技術はさらに高度なものとなっていきます。そして、芸術品としての地位も確立。2010(平成22)年には玉川宣夫さんが「人間国宝」に認定されました。玉川さんは鎚起銅器職人として修業をしている中、「木目金(もくめがね)」技法に出会います。「木目金」とは、金工の「鍛金(たんきん)」技法のひとつで、色の異なる金属板を重ねて木目のような美しい斑紋を描き出すものです。金属板を20~30枚も重ねた“塊”を熱して叩くことを何十回も繰り返して板状にしたものを「タガネ」で模様を削り出し、これを叩いて器に成形していきます。

©︎雪雲 数十枚の金属を重ねた“塊”、この塊を打ち延ばし、タガネで模様を浮かび上がらせる
人間国宝玉川宣夫氏の「木目金」作品。何時間でも見ていられる美しさだ

1000分の1ミリを極める「金型」

「金型」は、金属洋食器はもちろん、家電や自動車、機械部品など均一な品質のものを大量生産する際に欠かせません。自動車や機械部品は、別の工場でつくられたものと組み合わせて使われるので、1000分の1ミリ単位の精度が求められます。その精度の高さは、史料館に展示されている「株式会社 武田金型製作所」の作った「マジックメタル」で、見ることができます。何の変哲もない金属の塊の後ろにあるハンドルを回すと…、「燕」の文字が浮き上がります!可動部とそれ以外の部分の隙間はわずか0.003㍉というから驚きです。

©︎雪雲 武田金型製作所の作ったマジックメタル。後ろのハンドルを回すと…
©︎雪雲 「燕」の文字(裏文字)が浮かび上がる

金属を鏡のようにする「研磨」

スプーンの形になったものを「研磨」―「磨き」で仕上げます。この磨きも何段階かに分かれており、最終的には鏡のようにピカピカになるまで磨き上げられます。これも燕の誇る職人技です。

©︎雪雲 燕の磨き職人たちが鏡のように磨き上げた軽自動車

こうして完成したスプーンは、日本はもとより世界各国へと旅立っていきます。91(平成3)年からは、ノーベル賞授賞式の晩さん会用に採用されています。また2021(令和3)年に開催された「東京2020オリンピック」でも、選手村で燕の金属洋食器が使われました。

©︎雪雲 ノーベル賞授賞式の晩さん会で使われるカトラリー
©︎雪雲 東京五輪2020の選手村で使われたカトラリー。柄には細かな桜模様が散りばめられている。これも燕の職人の技だ

荒波を乗り越えてきた燕

もちろん燕の金属加工は常に順風満帆ではありませんでした。戦前は欧州をはじめ、東南アジアなどへの輸出が燕の生産額の8割を占めるまでになりました。しかし太平洋戦争中は金属洋食器製造が難しくなっていきました。戦後は「高品質・低価格」な燕産の金属洋食器は米国向け輸出が盛んとなります。しかし米国が輸入を規制したため燕は危機に陥ります。

燕の金属産業の職人たちはそんな状況にも屈しませんでした。カナダや、西ドイツなど新たな輸出相手の発掘や、高度な金属加工技術を生かし、金属ハウスウェア製造などへの事業転換などをして切り抜けます。そしていまや「燕ブランド」は確固たるものになりました。まさに「ピンチをチャンスに変えた」のが燕市なのです。

©︎雪雲 「メイド・イン・ツバメ」のハウスウェアなど。すべてに燕の技術が息づいている

体験工房で職人気分

そんな燕の職人技を史料館にある「体験工房」で体験できます。純銅タンブラーとスズのショットグラスやぐい呑みへの「鎚(つち)目入れ体験」(2,000円~3,500円)。スズの板からぐい呑みを作る「ぐい呑み製作体験」(3,300円)。同じくスズの板を皿にする体験(1,500円)などができます。ほかにもチタン製スプーンに色を付ける「チタン製スプーン酸化発色」コーヒースプーン800円、ヨーグルトスプーン900円、デザートスプーン/フォーク1,200円が体験できます(価格は2025年現在のもので、今後変わる可能性があります)。

©︎雪雲 銅器への鎚目入れ体験
©︎雪雲 チタン製のスプーンを美しく色づける体験コースも用意されている
タンブラーの鎚目入れに挑戦中!

予約なしでも体験できるので、私は美しい鎚目を持つ銅器を目指し、タンブラーへの鎚目入れ体験をチョイス。「タンブラーを回しながら、鎚を打っていってください」と言われてやるものの、打つ場所がずれて、思い描いていた「美しい鎚目」にはならず、少し(かなり)不細工になってしまいました。でもこれはこれで味。世界に一つだけの“メイド・イン自分”のぐい呑み、どうだ!(銅だけに)。今晩はこれでビールをグイッとやろうと思いつつ、史料館を後にしました。

■燕市産業史料館

住所:新潟県燕市大曲4330-1

電話番号:0256-63-7666

時間:9:00~16:30(体験受付は16:00まで)

定休日:月曜日(祝日の場合は翌平日)/年末年始

入館料:大人400円、小・中・高生100円

URL:https://tim.securesite.jp/index.html

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