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新潟市は日本海に面する港町です。江戸時代中期から新潟は国内物流の主役だった「北前船(きたまえぶね)」をはじめとした回船の航路で栄えました。新潟に残るその記憶をご紹介します。
現代の国内物流は陸路が中心ですが、明治時代中ごろまでは「水運」が主役でした。1672(寛文12)年、日本海から瀬戸内海~大坂(阪)までの「西回り航路」が開かれました。太平洋側の「東回り航路」より安全に航行できるため、この航路が物流の主役となりました。回船の上り航路は蝦夷(えぞ)地(北海道)の江刺などから酒田(山形)、新潟、輪島(石川)関門海峡から瀬戸内海に入り尾道(広島)などに寄港しながら大坂や江戸へ。下りはその反対でした。各地の湊町は活気づき日本海開運の興隆につながりました。
新潟には信濃川と阿賀野川の流域から年貢米や酒、木材が川船で運ばれてきました。これらは大坂や江戸、蝦夷地へ、木材は新潟で漆器や建具に加工され同様に各地へ運ばれました。逆に大坂や瀬戸内からは塩や瀬戸物、蝦夷からはニシンや昆布、干物などが新潟湊に集まり、川船で信濃(長野県)や会津(福島県)などへ運ばれました。新潟は物流の要衝だったのです。
回船には、年貢米を運ぶ船や「買積船(かいつみふね)」などがありました。一般的に「北前船」と呼ばれるのはこの「買積船」のことです。寄港地Aで「甲」を買って(仕入れて)、寄港地Bで「甲」の需要があり利益が出れば売る。そしてBでは「乙」を仕入れて、次の湊へ―つまり“商売をしながら”航海”するのが北前船でした。
北前船と街の商人の売買仲介をしたのが「回船問屋」です。回船問屋の中には齋藤家、小澤家など全国に知られた“豪商”もいました。このうち齋藤家は以前の特派員ブログでも紹介をしましたので、よろしければお読みください。
新潟湊がにぎわった時期のひとつは元禄期(1688~1704年)で、特に1697(元禄10)年は3,500隻もの回船が入港していました。その繁栄をうかがえるのが、1852(嘉永5)年に「白山神社」(新潟市中央区一番堀通町)に奉納された縦190㌢、横360㌢もある大船絵馬です。「新潟市歴史博物館(みなとぴあ)」にあるレプリカで詳しく見てみましょう。
絵馬下方の弁才船(べざいせん)と呼ばれた和船がひしめいている場所が新潟湊で、右下の神社が白山神社です。そして上方左が大坂で、右が江戸です。上には大阪城や江戸城も描かれています。
当時の新潟でもっとも標高の高い「日和山(ひよりやま)」(新潟市中央区東堀通13番町)は、水先案内(水戸教(みときょう)に用いられました。ここから新潟湊へ入る船を見つけると、ふもとで待機している回船問屋の手代(てだい)へ連絡が入ります。手代は船へ行き船頭に船主と国名、積み荷の種類、船頭が宿泊する回船問屋を確認します。
北前船が来た場合は、船のトップの船頭に新潟での相場を教え、湊に入ることを勧めるのも手代の仕事でした。
上陸すると船頭は回船問屋に宿泊しますが、それ以外の船員は船に宿泊しました。新潟には全国の商人はもちろん、文人・墨客などの往来も盛んで、彼らをもてなす場となったのが古町の料亭です。
そしてその酒席を盛り上げたのが古町芸妓です。古町芸妓は京都の祇園と並び称される美しさで、舞いの華麗さ、唄のうまさは江戸にまで知られていました。
古町と芸妓についても以前、紹介しましたので、こちらもぜひお読みください。
古町芸妓の演目の定番「新潟おけさ」、全国的に有名な「佐渡おけさ」は現在の熊本県天草市の湊で歌われていた「ハイヤ節」が原型で、回船の船乗りたちによって日本海側へ伝わったものです。回船は荷物だけでなく文化も運んでいたのです。
太平洋側に比べて安全とはいえ、回船は風と潮まかせ―「板子一枚下は地獄」という言葉どおり、遭難の危険とは背中合わせでした。
船主や船乗りは神社に絵馬や灯ろう、船の模型などを奉納して航海の安全を祈りました。冒頭に紹介した白山神社の大船絵馬もそのひとつです。
船が係留されていた場所近くの「湊稲荷神社」には、「願懸け(がんかけ)高麗犬(こまいぬ)」という回転させることのできるこま犬があります。船員たちが長く逗留できるよう、船が出帆できない西風が吹くことを願い。遊女がこま犬の向きを西に向けて願をかけたそうです。
幕末の1858(安政5)年、幕府は米国や英国、ロシアなど5か国との間に修好通商条約を結び、それらの国に横浜、長崎、神戸、函館、そして新潟の5港の開港を決め、新潟は69(明治元)年に開港、翌年に運上所(税関)が建てられました。
この建物は、国指定重要文化財として新潟市歴史博物館敷地内に現存しています。
開港したとはいえ水深が浅い上に風と波にさらされるため、大型の蒸気船には危険な港で、寄港する外国船は少ないままでした。
新潟を活気づけて、富と文化をもたらした回船ですが、明治中期になると、鉄道の開通により衰退していきます。そんな回船の名残を詳しく紹介していきます。