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北ウェールズ・レクサム近郊にある、18世紀のカントリーハウス「Erddig(エルディグ)」。(ウェールズ語発音では“エーズィグ”に近い)
現在はナショナル・トラストが管理する人気観光スポットですが、この館が特別なのは、“主人一族”だけでなく、そこで働いていた使用人たちの暮らしまで色濃く残されていることです。
豪華なステートルームや美しい庭園はもちろん、庭師やメイド、さらに“蜘蛛の巣払い係”まで、名前や肖像画付きで記録・展示されている英国でも珍しい館。そして、華やかな時代からの転落、財政難や炭鉱被害を乗り越え、奇跡的に保存された歴史を持っています。
今回はそんな“人の暮らしが見えるカントリーハウス”エルディグをご紹介します!
17世紀末、デンビーシャー州長官も務めた地元の有力者ジョシュア・エディズベリーによって建てられたエルディグは左右対称の美しい邸宅と、幾何学的な庭園を備えた、当時最先端のスタイルを取り入れた館でした。
ロンドンの洗練された文化に憧れ、理想のカントリーハウスを築こうとしていたのでしょう。
しかし、建築費や庭園造成費は想像以上に膨れ上がり、さらに鉛鉱山の投資にも失敗。
最終的にエディズベリー家は財政破綻してしまい、エルディグを手放すことになります。
その後、エルディグを購入したのが、ロンドンで法律家として成功していたジョン・メラー。
裕福だった彼は、館の増築を進めるとともに、ロンドンから最高級の家具や鏡、中国趣味(シノワズリ)の装飾品などを次々と取り寄せました。
現在、エルディグに残る豪華な調度品の多くは、この時代に集められたものだと言われています。
一方で、メラーはかなり気難しい性格だったようで、当時の訪問者には、「館は素晴らしいが、主人は少々付き合いづらい」と記録されたことも。
そんなメラーは生涯独身で、彼の死後、エルディグは甥のサイモン・ヨークへ相続され、以後、この館はYorke(ヨーク)家の所有となります。
ヨーク家は、公爵家のような爵位貴族ではなく、広大な土地を所有する地主層。
だからこそ、エルディグには、“宮殿”というより、実際に人々が暮らしていた英国カントリーハウスのリアルな空気感が今も残っているのです。
英国のカントリーハウスといえば、豪華な家具や絵画、美しい庭園をイメージされるのではないでしょうか?
もちろん、エルディグにもそれらは残っています。
でも、この館が特別なのは、使用人たちの存在までもがしっかり残されていること。
18世紀後半、サイモン・ヨーク1世の息子で、当主のフィリップ・ヨーク1世が、屋敷で働く使用人たちの肖像画を描かせ、さらに自作の詩まで添えて記録し始めました。
料理人やメイド、庭師に鍛冶屋、従者、“蜘蛛の巣払い係”まで、名前や彼らの特徴まで記されています。
そして、その記録は、“伝統”として、その後のヨーク家にも受け継がれていきました。
19世紀のエルディグは、広大な領地と美しい庭園を持つカントリーハウスとして栄え、一族は約250年にわたり、この館を守り続けます。
しかし、20世紀に入ると、そんなエルディグにも少しずつ衰退の影が見え始めました。
20世紀中頃、エルディグは深刻な危機を迎えます。
周辺で行われていた炭鉱採掘の影響による地盤沈下で、館の屋根は傾き、雨漏りは止まらず、壁紙は剥がれ落ちる状態に。豪華なステートベッドルームには洗面器を置いて雨漏りを受けるほど、建物は深刻なダメージを受けていました。
ヨーク家では代々、当主には「サイモン」と「フィリップ」の名前が受け継がれてきました。
そんな崩壊寸前のエルディグを懸命に守ろうとしたのが、最後の当主フィリップ・ヨーク3世です。
彼は兄のサイモン・ヨーク4世から受け継いだ家具やコレクションを手放すことなく、なんとか館を守り続けようとしました。
そして、1973年、ついにエルディグはナショナル・トラストへ譲渡されます。
その後、4年もの歳月をかけて大規模修復が行われ、1977年に一般公開。さらに翌1978年には、“ミュージアム・オブ・イヤー・アワード”を受賞しました。その知らせを受けたフィリップ・ヨーク3世は「私は昔から、エルディグは世界で一番素晴らしい場所だと思ってたよ」と語ったそうです。
そして、まるで修復されたエルディグが再び人々に愛される姿を見届けるかのように、彼はそのわずか1週間後に息を引き取りました。
現在のエルディグは、“英国でもっとも魅力的なカントリーハウスのひとつ”とも称され、今も多くの人を惹きつけています。
エルディグの魅力は、館の内部だけではありません。
18世紀初頭に造られたフォーマルガーデンが、現在も驚くほど良い状態で残されています。
整然と並ぶ並木道や果樹園、運河など、英国カントリーハウスらしい風景が広がり、季節ごとに異なる表情を楽しめます。
さらに興味深いのは、この庭園が“鑑賞用”だけではなかったこと。
当時の庭園には、食糧生産や排水、防虫、薬草栽培など、暮らしを支える実用的な役割もありました。
美しさと実用性を兼ね備えたエルディグの庭園は、英国庭園好きならぜひ歩いてみたい場所です。
エルディグを実際に歩いてみると、この館が“完成された宮殿”ではないことに気付きます。
豪華な調度品や美しい庭園を持ちながらも、財政難や地盤沈下による崩壊の危機を乗り越え、“なんとか生き延びてきた館”でもあるのです。
だからこそ、エルディグには、豪華さだけではない、人間らしい空気感が残っています。
使用人たちの記録、暮らしの傷跡、修復の歴史…。
英国上流階級文化だけでなく、“そこで実際に生きていた人々”を感じられる場所であることが、エルディグ最大の魅力なのかもしれません。
ロンドン・ユーストン(London Euston)駅から、直通列車でレクサム・ジェネラル(Wrexham General)駅へ。所要時間約2.5時間。
レクサム駅からは約3㎞。タクシーでおよそ10分。徒歩なら40分ほど。
天気が良ければ、ウェールズらしい住宅街や緑を眺めながら歩くのも気持ちの良いルートです。
ロンドンからの日帰りも可能ですが、北ウェールズ周辺で1泊して、世界遺産ポントカサステ水路橋や城塞都市チェスター観光と組み合わせるのもおすすめです。
■ Erddig – National Trust
住所: Erddig Hall, Erddig, Wrexham LL13 0YT
公式サイト: https://www.nationaltrust.org.uk/visit/wales/erddig