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これまで2度に渡ってコソヴォの見どころや文化を紹介してきましたが、今回からは隣国のアルバニア共和国をレポートしましょう。アルバニアは、コソヴォと同じようにアルバニア人が人口のほとんどを占める国で、いわば兄弟のような間柄。社会主義の時代に長らく鎖国をしていたため知られていない部分も多く、さらに民主化直後の混乱が報道されるとますます遠い国のように感じた人も多いかもしれません。しかし、この国がもつ豊かな観光資源が発信されるようになり、徐々に魅力あるデスティネーションとして注目を浴びるようになってきました。近年勢いを増しているアルバニアの旅行事情をお伝えします。
コソヴォからアルバニアに入国し、シュコドラへと向かいます。シュコドラ湖のほとりにあるアルバニア第4の町で、町外れの丘にはロザファ城という要塞が残っています。シュコドラという町の名前は、「丘へ上る」というアルバニア語が語源となっており、その丘とは、ロザファ城の建っている丘のこと。現在見られる城塞は、ヴェネツィア共和国が支配していた時代にオスマン帝国からの防衛のために建てられました。丘の上でシュコドラの町の景色を楽しんでから、市内へ向かいます。
町へ足を踏み入れると、こぎれいでおしゃれな町並みが目に入ります。どこかイタリア的な風情が印象的。ただ、大きなドームと高い尖塔のモスクが町の中心にどっしりと構えており、それがイタリア的雰囲気を打ち消して、町に独自のアクセントを与えています。モスク以外にもカトリックの大聖堂、フランシスコ会の教会、東方正教の教会などさまざまな宗教施設が並んでいるのも特徴的です。シュコドラは、西はイタリアへと通じるアドリア海、北はモンテネグロ、東はコソヴォ、南はアルバニアの首都ティラナと、さまざまな民族や文化が交わる場所。この町で感じる多文化的で自由な空気はそんな立地が影響しているのかもしれません。
シュコドラから車で南へ2時間ほどで、アルバニアの首都ティラナに到着します。町の中心は、スカンデルベグ広場で、まわりには国立歴史博物館やオペラハウスといった文化施設が建っています。真ん中に雄々しく立つ騎馬像は、広場の名前にもなっているスカンデルベグの騎馬像。スカンデルベグは15世紀にオスマン帝国がこの地域に領土を拡大するのに抵抗し、25年にわたってアルバニアの独立を保った英雄です。アルバニア人はとにかくスカンデルベグが大好き。お札の肖像はもちろん、大手石油会社のロゴはスカンデルベグの兜をモチーフにしているし、人気の国産ブランデーの銘柄にもなっています。
広場から南へは片側2車線の大通りが延びており、官庁の建物が並びます。この大通りはもともと、イタリアのムッソリーニがアルバニアを占領していた時代、軍事パレード用に設計されたもの。訪問時期がたまたま独立記念日に近かったため、アルバニアのシンボルカラーである赤と黒の旗で大通りがデコレーションされていました。軍事パレードが今にも通りそうな雰囲気が感じられたものです。通り沿いは今でこそ立派な建物が並びますが、できた当時は何もなかったそうです。この地を旅したイタリア人は、「大通りのない町は見たことはあるが、町のない大通りは初めてだ」と書き残しています。
スカンデルベグ広場のすぐそばには、イスラム教の古いモスク、ジャーミア・エトヘム・ベウトが建っており、現代的町並みのなかで異彩を放っています。礼拝の時間帯以外は見学ができるので、ぜひ中に入って内部の見事なフレスコ画をじっくり鑑賞しましょう。赤や緑で描かれた植物は写実的で、幾何学文様の装飾が多い他国のモスクとは、ずいぶん異なっています。植物に混じって、ドームや家など町の様子も描かれていますが、これはフレスコ画家がペルシア旅行をしたときの風景を描いたものといわれています。1967年、社会主義時代のアルバニアは、無神国家を宣言し、すべての宗教を禁止し、このモスクも閉鎖。しかし、民主化後の1991年になって再び礼拝ができるようになりました。
広場から大通りを南へ歩いていくと、ピラミッド型をした建物が目に入ってきます。現在は廃墟になっていますが、もともと社会主義時代の独裁者、エンヴェル・ホジャの博物館として建てられたもので、上から見ると、アルバニアのシンボル、双頭の鷲の形をしています。建物のすぐそばには、『平和の鐘』もあるので、見逃さないように。社会主義から民主化への道を選んだアルバニアは、市場主義経済への移行の過程でネズミ講が流行しました。1997年にネズミ講が破綻すると経済は大混乱に陥り、各地で銃を使った暴動などが起きたそうです。この鐘は、暴動に使われた銃の薬きょうを溶かして作られたもので、「私は銃弾として生まれたが、子供達の希望を願っている」と刻まれています。
クルヤは、アルバニアの英雄スカンデルベグが3度に渡ってオスマン帝国の攻撃を退け、アルバニアの独立を守った歴史ある町。首都ティラナからは北へ20kmと近く、日帰りショートトリップの場所としても最適です。町は丘の中腹にあり、周囲は険しい山。この地形が数で勝るオスマン帝国軍を撃退するのに、大いに役立ったことでしょう。観光の中心地はクルヤ城ですが、バスの駐車場から城にかけては、民芸品が並ぶバザールになっています。みやげ物を探しながらそぞろ歩くのにぴったりです。
クルヤ城は、現在スカンデルベグ博物館として公開されてます。アルバニアの最高額紙幣、5000レクの肖像はスカンデルベグですが、裏面はクルヤ城。城内の展示は、スカンデルベグの生涯を中心に紹介しており、重要な出来事を絵画やレリーフで再現しています。鹿の頭部をかたどったスカンデルベグの兜も展示されていますが、これはレプリカ。本物は現在ウィーンの博物館にあり、残念ながらアルバニア本国では見ることができません。
25年にわたりスカンデルベグの活躍で独立を保ったアルバニアですが、彼の死後オスマン帝国に征服されます。3度の攻撃に耐えたクルヤ城も、4度目の攻撃は防ぐことはできませんでした。クルヤ城のすぐ横にはオスマン帝国の時代に建てられた有力者の館もあり、現在は民俗博物館として、当時の暮らしぶりを伝えています。
首都ティラナでは、アルバニアの伝統料理が食べられるレストランが多くありますが、なかでもモツを使った料理に定評がある店があると聞き、訪れてみました。レストラン名のオダOda(=伝統的な部屋)が意味する通り、昔ながらの雰囲気のなか食事を楽しむことができます。
ヒツジの腸をあぶったククレツKukurecや、ヒツジのモツを煮込んだタヴァ・プランチTavë Plënciなどのおすすめ料理が出てきました。ヒツジもモツもクセがあるので、苦手な人もいると思いますが、柔らかくて独特な食感は好きな人にはたまらないおいしさです。モツ以外に野菜や豆を使ったメニューも豊富にありますが、さまざまな野菜を煮込み、ナスに詰めたパタルジャネ・タ・ムブシュルPatëllxhane të mbushurという料理がなんといっても絶品でした。一口食べればアルバニアの野菜がいかに良質かわかるというものです。食後に飲むのは伝統的なトルコ風コーヒー。飲み終えたら沈殿した粉の形でコーヒー占いができるので、地元の人に占ってもらうのも楽しいものです。
地球の歩き方A25「中欧」編集スタッフ 平田功