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日本一の最恐刑務所 北海道・網走監獄

地球の歩き方ウェブ運営チーム

地球の歩き方ウェブ運営チーム

更新日
2018年6月2日
公開日
2018年6月2日
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日本最恐と囚人達に恐れられた旧網走刑務所正門

北海道網走市にある「網走監獄博物館」を訪ねました。「網走刑務所」の名で知られたこの博物館は、明治の初めから昭和61年まで実際に使われていました。囚人達が極寒の地で、どれだけ厳しい生活や労働を強いられていたのか?見るものを黙らせてしまうような過酷な状況を「蝋人形」によって再現し、伝えているのがこの博物館の特徴です。その見どころの一部を紹介します。

囚人達が恐れた最果ての牢獄

四六時中光る監視の目

無期懲役や重罪人、政治犯とされた囚人達を待っていたのは北海道の開拓でした。ご飯も十分に与えられず、雪深い地で凍えながらの重労働。逆らった者や逃亡を試みたものは、容赦なく斬り殺されたといいます。

道路建設の為に簡易的に作られた休泊所。別名「動く監獄」

北海道の経済発展を遂げるため、囚人達は中央道路の開削工事、炭鉱や硫黄採取に駆りだされました。労働は昼夜連行で行われ、驚くほどの短期間で北見峠から網走までの約228キロの道路が作られました。

囚人達の睡眠時間は4~5時間。慢性的な寝不足状態の中、朝になると枕代わりの一本の丸太を叩いて起こされたといいます。

労働は逃亡を防ぐため二人ずつ鎖で繋がれながらの作業であり、山の中に進むほど食料運搬も上手くいかず、栄養失調や怪我などで200人以上の犠牲者を出したと言われています。「北海道の開拓は、尊い犠牲の上に成り立っている」と言えるのかも知れません。

囚人が一番恐れていた場所独居房

この暗闇に何日間も閉じ込められるとは…

反則行為をした者が一週間にも渡って入れられた独居房は「闇室」とも言われ、外からの光が入らないように作られていました。

激しく抵抗するものには手錠や足かせがつけられ、場合によっては減食されたといいます。

大正8年頃建築されたレンガ作りの独居房は、窓がなく扉は二重、壁の厚さは40cm以上もあります。

真冬は零下30度に下がることも

囚人達の密かな楽しみ?

囚人たちの入浴の様子

脱衣3分→入浴3分→洗身3分→上がり湯入浴3分=計15分!

大勢が寝食を共にする刑務所では伝染病も流行しやすいため、入浴は衛生上欠かせないものでした。重労働の囚人達が入浴できるのは、毎日ではなく冬場は月に一回が基本でした。

厳重な監視下の元でも、入浴は受刑者にとって一番の楽しみだったそうです。

囚人は凶悪犯、任侠が多く「くりからもんもん」と呼ばれる

博物館では、現在の網走刑務所で昼食として出されている食事メニューを頂くことが出来ます。

脂がたっぷりのっていてホックホクの美味しいホッケでした。さすがは海の幸豊富な北海道です!
※本来は味噌汁の代わりにお茶が出されています。

網走監獄名物の「監獄食」ほっけ定食
食事時は心なしか嬉しそうな表情の囚人たち

■【博物館 網走監獄】
・住所:〒099-2421 北海道網走市呼人1-1
・URL: http://www.kangoku.jp/

<博物館 網走監獄 編集後記>

日本が経済発展を遂げる為に北海道開拓を手がけ、沢山の囚人たちが命を落とす重労働を強いられてきた事実。ここに来ると、蝋人形の表情や展示物から北海道開拓の歴史を肌で感じることができます。

私は夏に訪れましたが、極寒の冬に訪れると囚人達が置かれた環境がより感じられるかも知れません。

北海道に来たら是非一度訪れてみて下さい。普段とは違った北海道の表情がみえてくると思いますよ!

記事:渡邉結城
※本記事は、「日本の歩き方」内、「おでかけガイド」に2016年3月1日に掲載されたものです。

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