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名古屋から電車ですぐの「聚楽園大仏」は日本でも珍しい文化財指定の初期鉄筋コンクリート大仏

守隨 亨延

守隨 亨延

フランス特派員

更新日
2024年9月8日
公開日
2021年4月30日
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公園にたたずむ聚楽園大仏

名古屋駅から名鉄で南へ約20分。中部国際空港(セントレア)へ行く途中に、日本で現存するなかで、最も古い鉄筋コンクリート製大仏があります。聚楽園大仏です。周囲は東海市により「聚楽園公園」として整備され、名古屋から手軽に訪れられる憩いのスポットになっています。今、その聚楽園大仏が近代建築遺産として注目されつつあります。

聚楽園と聚楽園大仏の歴史

参道を登ると大仏の顔が見えてくる

聚楽園大仏は、1927年に昭和天皇のご成婚を記念して建てられました。像高18.79mの阿弥陀如来坐像です。造られた当時は「東洋一」とうたわれ、奈良や鎌倉の大仏より大きく、日本で最も大きな大仏でした。建立者は中京地方の実業家だった山田才吉。自身が経営していた料理旅館「聚楽園」の敷地内(知多郡上野村、現在の愛知県東海市)に、私費を投じて造りました。それら敷地は現在は上述の聚楽園公園になっています。

山田才吉は料理人から身を興し、名古屋の名産品として知られている守口漬を考案。缶詰事業や新聞社、ガス会社、旅館、水族館、鉄道会社など、時代を先取りさまざまな事業を立ち上げました。愛知県を中心に立ち上げた4つの巨大旅館のうちのひとつが、後に敷地内に聚楽園大仏を建てた聚楽園でした。

聚楽園内に残る旅館の正面玄関跡

大仏が建てられた聚楽園は、かつては名古屋から手軽に訪れられる行楽地として栄えました。旅館を中心に、園内には四季を通じて花々が咲き乱れ、山上からは伊勢湾を遠望。来園客に提供する本格的な料理のほかに、伊吹山の薬草風呂などで人を集めました。実現はしませんでしたが、海岸沿いに海水プールの計画をするなど、ここ聚楽園を一大リゾート地にしようと考えていました。

山田才吉の没後、戦後になってからは、老朽化した大仏について保存の議論が市内で起こり、最終的には宗教法人・大仏寺を設立して管理することて保存が図られました。大仏の周囲以外の聚楽園の園内については、東海市が聚楽園公園として整備しました。なお、聚楽園旅館の建物は1991年に聚楽園公園を再整備する際に取り壊されたため、現在は残っていません。また、かつて眺められた風光明媚な海岸線は、今は名古屋港の一部として工業地帯に変わっています。

聚楽園の山上からの風景

国内でも珍しい鉄筋コンクリート仏の文化財登録

公園内にある大仏は日本でも珍しい

聚楽園大仏は、1983年に東海市の指定名勝(聚楽園大仏及び境内地)として文化財登録されました。また2021年2月18日には、参道に立つ「阿(あ)形」「吽(うん)形」の一対の仁王像とともに、指定建造物(聚楽園大仏及び仁王像)としても文化財登録されました。鉄筋コンクリート造の大仏が文化財登録されることは、日本国内で先進的なケースです。

阿形の仁王像
吽形の仁王像

東海市役所社会教育課によると、建造物としての文化財指定は「日本最初の鉄筋コンクリート大仏であり、かつ建立時は日本最大の大仏だった」「複雑な形状で造られコンクリート造形の可能性を示した建築物である」「現代の高層ビルにも匹敵する強度で建てられた当時の技術を確認できる」「市のランドマークになっている」「誰でも訪れられる公共性がある」「聚楽園という地域のイメージを決定づけた建築物である」という、おもに6点の理由からです。

初期鉄筋コンクリート造ということのほかに、注目すべきは大仏の顔です。建立者の山田才吉は、大仏の顔の造形にこだわっており、じつは一度完成した顔を作り直させています。また大仏の体の比率と比べて、頭を大きくしたのは、下から見上げた際の視覚的バランスを取るためです。

真下から見上げるとちょうど大仏と目が合う

大仏と仁王像のほかに、境内に残る大灯籠、常香炉、参道も建立当時からのものです。大灯籠には山田才吉の前妻だった「山田なつ」の名前が刻まれ、常香炉には後妻「山田よね」をはじめ家族の名前が残されています。大仏自体は鉄筋コンクリート造ですが、これら付属設備は人造石により作られており、産業史的な視野からも貴重な遺産となっています。

大仏横には山田才吉翁頌徳碑も立っています。もとは銅で造られた山田才吉翁寿像もありましたが、第二次大戦時に金属供出されて現在は残っていません。

以前は2基あった大灯籠だが現在は1基
常香炉の裏側に刻まれた名前

聚楽園大仏は近代建築という視点以外に、日本の特撮の歴史においても一つの分水嶺となっている建築物です。なぜなら、この聚楽園大仏をモデルとして日本最初期の巨大特撮映画『大仏廻国(大佛廻國・中京篇)』が制作されたからです。

大仏廻国では、人々の祈りに応じて動き出した聚楽園大仏が名古屋および近郊を巡り、当時の行楽地を眺めたり、人々に道徳を説いたりする物語です。当時としては画期的な一部カラー、オールトーキー(音声映画)で撮られ、名古屋・大須にあった映画館「世界館」を皮切りに、順次公開されました。

同作を撮影した枝正義郎監督は、特撮の神様と言われている円谷英二を映画界に引き入れた円谷の師匠のような人物。その20年後に円谷は日本における特撮映画の金字塔『ゴジラ』の第1作目を作りました。

パワースポットとしての聚楽園大仏

満開になった桜と大仏

聚楽園大仏は、一代で次々と事業を立ち上げた山田才吉にあやかって、「成功」「出世」「開運」のご利益があるかもしれません。また昭和天皇のご成婚記念として建てられた経緯から「縁結び」も叶うかもしれません。

地域の人々が普段からお参りに訪れるほか、名古屋市を中心とした愛知県内、そしてアジア方面およびスペイン語圏からの観光客の姿も見かけます。日本で暮らすミャンマーやベトナムの人々が、お参りに通う姿もよく見かけます。

名古屋駅の高層ビル群と聚楽園大仏

■聚楽園大仏
・住所: 愛知県東海市荒尾町西丸山
・開園時間: 24時間
・アクセス: 名鉄聚楽園駅から徒歩数分
・URL: https://www.tokaikanko.com/study/history_culture/big_buddha/

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