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スパークリングワインのなかでも特別な地位にあるのがシャンパーニュ(シャンパン)です。どのスパークリングワインでも「シャンパーニュ」を名乗れるわけではなく、フランスのシャンパーニュ地域にて決められた製法で造られたスパークリングワインのみ、シャンパーニュと表記することが許されています。シャンパーニュ製造の中心地、フランス東部シャンパーニュ地方のエペルネーには、世界を代表する名だたるシャンパーニュ・メゾン(ワイナリー)が立ち並んでいます。そのなかで、個性の異なる3つのタイプのメゾンを紹介します。
エペルネー市内にあるシャンパーニュ・メゾンが立ち並ぶシャンパーニュ通り。その中ほど、1900年に建てられた乳白色の館を擁するのがドゥ・ヴノージュです。ドゥ・ヴノージュ家は、元はスイスのレマン湖に流れ込むヴノージュ川のほとりの出身で、1837年にアンリ・マルク・ドゥ・ヴノージュの代に、エペルネーへと移り住みシャンパーニュ製造を始めました。
メゾンの歴史を順に紐解いていくと、1851年に今もメゾンのシンボルとして続いている「コルドン・ブルー」と呼ばれるエチケット(ボトルに貼るラベル)を考案。白地に青いたすき掛けの川を配したデザインは、ヴノージュ川と精霊を表しています。1858年には、同メゾンを代表する銘柄である「プランス」を、オランダ王国オラニエ公へのオマージュとして造り始めています。
1866年、ガエタン・ドゥ・ヴノージュの代にアメリカなどへ販路を拡大。その娘イヴォンヌの代になると、イヴォンヌは夫とともにヨーロッパの貴族階級へドゥ・ヴノージュのシャンパーニュを広く浸透させていきました。1998年になると、ドゥ・ヴノージュはボワゼル・シャノワーヌ・シャンパーニュ・グループの傘下に入ります。そして2005年からは、プレステージ・キュヴェである「ルイXV(15世)」を加えました。
メゾンの内部はとても華やかです。建物は大手シャンパーニュ・メゾン、ペリエ・ジュエの当主であったマルセル・ガリスのために、建築家シャルル・ブロンデルによって1898年から1900年にかけて建てられたもの。「ルイ15世のサロン」と呼ばれる部屋や、世界に3つしか残っていないプレイエルのクラシック・ピアノ、メゾン創設時からのエチケット(ラベル)のコレクションなど、歴史を感じさせます。
2階へとつながる階段にあるステンドグラスは、ガラス工芸家ジャック・グリューバーの作品です。
メゾンの見学は通年受け入れているほかに、メゾンの敷地入口すぐ横にはバー「L’Ecurie(レキュリ)」もあります。ここでも屋内またはテラスで、気軽にドゥ・ヴノージュのシャンパーニュを楽しむことができます。併設のショップではボトルなど商品の購入が可能です。
また敷地にはキッチン付きの宿泊宿泊施設「Les Suitess du 33(レ・スイーツ・デュ・33)」を備えています。寝室やリビングを備えた広いアパルトマンで、エペルネーとシャンパーニュ通りを休暇にゆっくりと楽しみたい場合に、最適な空間です。
■De Venoge(ドゥ・ヴノージュ)
・住所: 33 avenue de Champagne 51200
・URL: https://champagnedevenoge.com/
・料金: 1名€20(1時間)
・時間: 10:00〜19:00(夏季の月〜木曜)、〜20:30(夏季の金・土曜)、〜18:00(夏季の日曜)、10:00〜19:30(冬季)
シャンパーニュ通りを挟んで、ドゥ・ヴノージュの向かい側にあるのがボワゼルです。1834年にオーギュスト・ボワゼルとジュリー・マルタン夫妻が、エペルネーで創業したメゾンです。もともとパティスリーのシェフをしていた、若い起業家精神あふれる夫妻でした。ただジュリーの先祖は、シャンパーニュ地方のアイおよびマルイユ・シュル・アイのワイン醸造家でもありました。
ボワゼルは初年度のワイン出荷から、ロンドンそしてイギリス市場を念頭に輸出に力を入れました。そして1872年、夫妻の息子エドゥアール・ボワゼルの代に、初めてシャンパーニュを製造します。当時のシャンパーニュは甘いタイプのものが主流でしたが、エドゥアールはドサージュ(補糖)を控えめにしたシャンパーニュを造りました。
ただし戦争はメゾンの歴史にも暗い影を落とします。第一次大戦(1914〜1918年)ではボワゼルも大きな影響を受け、戦時中には地下のセラーが防空壕などとして使われたこともありました。
戦後、エドゥアールの息子ジュールの代になると、フーケッツ、マキシム、ロイヤル・モンソーといったパリの高級店へ販路を拡大。海外では1923年にはオーストラリアに輸出を広げました。
1929年には最初のブラン・ド・ブラン(白ブドウだけで造られたスパークリングワイン)が造られます。当時のブラン・ド・ブランは、少量ですがいまもメゾンの地下セラーに眠っています。
第二次対戦後にオランダ、ベルギー、ドイツへ販路を拡大させたのは、ジュールの息子ルネです。ルネの代に最初のプレステージ・キュヴェである「ジョワイヨ・ド・フランス」が誕生。その後はルネの息子エリックがメゾンを継ぎますが夭折してしまいます。突然の死に、ルネの娘エヴリーヌがメゾンを引き継いで盛り立て、現在に至っています。
メゾンの見学は、「Essentiel(エソンシエル)」€28、「Millésime(ミレジム)」€34、「Joyau de France(ジョワイヨ・ド・フランス)」€50と試飲できるシャンパーニュの銘柄によって内容を選べます。どのツアーも所要時間は1時間。見学最後に試飲が含まれています。見学の申し込みはボワゼルの公式サイトからオンラインで可能です。
■Boizel(ボワゼル)
・住所: 46 avenue de Champagne 51200
・URL: https://www.boizel.com/
もし少し時間があるなら、エペルネーの町なかを抜けて郊外に足を延ばすと、より生産者の雰囲気を感じられます。なかでもエペルネーの南、シャンパーニュ地方を代表する白ブドウの産地コート・デ・ブラン地区アヴィズ村にあるフランス・ボンヴィルは、ブドウ栽培からワイン醸造までを、一貫して自家で手がけています。このようなメゾンのことをレコルタン・マニュピュラン(RM)と呼びます。
フランク・ボンヴィルの歴史は、現当主であるオリヴィエ・ボンヴィルの曽祖父アルフレッド・ボンヴィルから始まります。大手シャンパーニュ・メゾン、ヴーヴ・クリコの職人だったアルフレッドは、20世紀初頭のフィロキセラ禍(ブドウ樹の害虫で世界的に壊滅的な被害を与えた)により大打撃を受けていた数年後に、オジェ村の自宅から馬で数時間の場所にブドウ畑を購入。息子のフランクとともに働きながら、今のメゾンの礎を築きました。
1937年には、アヴィズ村にあるワイン生産用の建物を買い取り拠点にしました。この建物は今も現存しワインを製造しています。
第二次大戦後、フランクは自分の名前をつけた銘柄を発売し、あわせてアヴィズ村周辺で畑の拡張を進めていきます。1960年代には農業機械の進歩により、以前と比べてワイン生産における労働負担も軽減されるようになりました。フランクの息子ジルは、ステンレスタンクの導入など、メゾンにさらに新しい技術を取り入れていきます。そして現在は4代目のオリヴィエがメゾンを継いでいます。
エペルネーの町なかにあるメゾンと比べて、フランク・ボンヴィルのメゾンは小さな集落にあるメゾンでより親しみやすく、村の一面にはブドウ畑が広がっています。そのため造り手の息遣いがすぐそばで聞こえてきます。
■Franck Bonville(フランク・ボンヴィル)
・住所: 9 rue Pasteur 51190 Avize
・URL: http://champagne-franck-bonville.com/
これらのほかにもエペルネーには世界的な有名メゾンが立ち並んでいます。
■Pol Roger(ポル・ロジェ)
・住所: 32 Avenue de Champagne 51200
・URL: https://www.polroger.com/
■Moët & Chandon(モエ・エ・シャンドン)
・住所: 20 Avenue de Champagne 51200
・URL: https://www.moet.com/
■Gosset(ゴッセ)
・住所: 12 rue Godart Roger 51200
・URL: https://www.champagne-gosset.com/
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※当記事は、2021年8月3日現在のものです
〈地球の歩き方編集室よりお願い〉
2021年8月3日現在、ほとんどの国で観光目的の海外渡航は難しい状況です。『地球の歩き方 ニュース&レポート』では、近い将来に旅したい場所として世界の観光記事を発信しています。渡航についての最新情報は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
・URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
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