• Facebook でシェア
  • X でシェア
  • LINE でシェア

【イケメンハンター】ポーランド・アウシュヴィッツ(さわやか系イケメン)

窪咲子

窪咲子

編集者・トラベルライター

更新日
2011年11月28日
公開日
2011年11月28日
AD

第二次世界大戦の最中、ヒトラー率いるナチスによる制圧対策が行われた場所…

人類の負の遺産『アウシュヴィッツ』。

ユダヤ人をはじめ、ポーランド人や反ナチス活動家、同性愛者など、罪のない人がここに送られ、多いときには9万人もの人が収容されていたそう。

現在は博物館になっていて、世界中から訪れる人が後を絶ちません。

私はより詳しく知るため、唯一の日本人ガイド中谷さんの日本語ツアーに参加しました。

収容所の入り口、まず目につくのが「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」というゲート。

よくみると、この「ARBEIT」の「B」の文字が逆さになっているのがわかりますか?これは、収容者たちのせめてもの抵抗だったのかもしれません。

収容所の周りは、鉄格子で囲われていて、それでも脱走を図る人は、連帯責任として、家族や仲間が殺されたそうです。

静まり返る収容所内。その昔、ここで残虐な殺人が行われていたのが信じられないほど、静かな場所でした。

博物館内には、連れてこられた方たちの遺品が展示されていました。

中には、大量の女性の髪の毛もあり、これらは編まれて絨毯などの材料にされたそう。

おそらく、ここで新たな生活をしようと持ってきた家財道具。

二度と持ち主の手に戻ることはありませんでした。

収容者たちは、ここに着いた際に“囚人番号”として、体にタトゥ―を入れられました。

人体実験なども行われ、人間が、人間として扱われない状況。

満足な食事も与えられず、病気や栄養失調で亡くなる方、過酷な労働で命を落とした方も多くいました。

驚いたのは、収容者の監視をしていたのも、同じ収容者だったということ。収容者の中から選ばれた監視員に生き延びる希望を与え、同じ収容者を監視させていたそうです。

さらに、死体の処理から監視まで、全て収容者にやらせていました。そうすれば、自分たちの手を汚さずに済むと…。ナチスは収容所内の作業がスムーズに進むよう、恐ろしいほど、考え抜かれた方法で収容者たちを管理していたのです。

そして、収容できなくなると、労力にならない女性、子供、老人たちをガス室に送り、大量虐殺を行っていました。

続いて、アウシュヴィッツから、少し離れた場所にあるビルケナウへ。

アウシュヴィッツという名前の方が有名なのですが、ビルケナウ収容所の法が規模が大きく、多くの人がここに収容されていたのと同時に、大量虐殺が行われる場所でもありました。

あの『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクもここで収容されていたうちのひとりです。

私がここを訪れたとき、気温は-3度ほどだったんですが、当時、ひどいときには-30度にもなっていたそう。そんな中、薄い囚人服1枚で過ごした収容者たちはどれほど辛かったことか…。

ガイドの中谷さんの話の中で、「この悲劇が行われている中、多くの収容者よりも、ナチスよりも、世界中からこれを見ているだけの“傍観者”があまりにも多かった」という言葉があり、とても印象に残っています。

中には、ユダヤ人を守ろうとした政治家もいました。その方たちが殺された死の壁。

「いつまでも傍観者であってはいけない」アウシュヴィッツを訪れて私が強く感じたことです。

ここを訪れる前、アウシュビッツや歴史について、いろいろ勉強してきましたが、まだまだ知らないことも多く、実際に自分の目で見て、感じることがたくさんありました。

人類最大の過ちが行われたアウシュヴィッツ。

ぜひみなさんにも訪れ、考えていただきたい場所です。

ジュリアン・ティップ

年齢
25歳
既婚or独身
独身(恋人なし)
国籍
ポーランド
お仕事
エンジニア
お気に入りスポット
クリスマスマーケット

クラクフの街の真ん中、広場で行われていたクリスマスマーケットで遭遇したイケメン。整った顔立ちと肌のきれいさで、初め「マネキン…じゃないよね?」(ごめんなさい!)と思ってしまったくらいでした。友人と3人で訪れていたジュリアンさん。楽しみにしていたという“ホットワイン”に、口をつけた瞬間…。「ぶはっ!」。あまりのアルコールの強さに驚いて、ナイスリアクション!その場にいた人たちを和ませてしまうような、明るい性格のジュリアンさん。彼といたら、きっと楽しませてくれること間違いなしです!

トップへ戻る

TOP