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ドイツには中世以降多くの城が建てられ、その数はおよそ2万5000にも及ぶという。焼失したり廃墟となった城も多いが、現在も保存状態よく保たれ一般公開されている城が多数ある。城の訪問はドイツ観光の大きな楽しみのひとつ。次の旅で訪ねたい、名城とたたえられる5つの城と宮殿を紹介しよう。
目次
「ドイツの城」といわれて、多くの人が思い浮かべるのはおそらくノイシュヴァンシュタイン城ではないだろうか。夏の観光シーズンには1日平均6000人以上が訪れるというノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845~1886)の理想を叶える城として1869年に建築が始まった。19歳で即位し、孤独だった王が心酔したのは中世騎士道と作曲家ワーグナーのオペラの世界。愛するものに囲まれた城造りに生涯を捧げた。
城は1884年には居住部分がほぼ仕上がったものの完成には至らなかった。王がこの城に滞在したのは、謎の死を遂げるまでのわずか172日間。そして王の死後2ヵ月もたたないうちに城は一般に公開され、以来ドイツを代表する名城として世界中から人々が訪れるようになった。
城内の見学は、ガイドの誘導に従って部屋ごとに音声ガイド(日本語あり)を聞きながら回る。王の居室の壁面には、『ローエングリン』や『ニーベルンゲンの指輪』などワーグナーのオペラの題材になったゲルマンと北欧伝説の場面が鮮やかに描かれている。城内のクライマックスは歌人の広間で、後ほど紹介するヴァルトブルク城にある「歌人の広間」をモデルとして中世の騎士道文化を具現化している。歌人の広間を作るためにノイシュヴァンシュタインを建てたといってもよいほど、王はこの華麗な広間の実現に力を注いだ。城内は写真・ビデオ撮影禁止なので、じっくりと目に焼き付けたい。
森に囲まれた崖の上にそびえるノイシュヴァンシュタイン城の美しい姿を撮るなら、城から歩いて15分ほどの渓谷にかかるマリエン橋へ。橋の上からは白鳥のような城の全体が望めるだけでなく、城と自分の姿を一緒に撮ることができる人気のベスト撮影ポイントとなっている(冬期は凍結や雪で閉鎖される場合もある)。
ヨーロッパで最も訪問者の多い城のひとつでありながら世界遺産に登録されていないノイシュヴァンシュタイン城だが、ルートヴィヒ2世の建てたリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城などと合わせて2024年に登録申請を行っており、2025年夏の世界遺産委員会で決定される予定。
ミュンヘンのミュンヘン中央駅から鉄道で約2時間のフュッセン(Füssen)駅まで行き、駅前から路線バスで約15分のホーエンシュヴァンガウ・ノイシュヴァンシュタイン・キャッスル(Neuschwanstein Castles, Schwangau)下車。バス停から歩いて3分ほどのホーエンシュヴァンガウの集落から城へは、約40分歩いて登る以外に次の2つの方法がある(城ではチケットを販売していないので、すでにチケットをオンライン購入済みの場合に限る)。
(1)馬車で城の手前まで行き、その後約15分徒歩。
(2)シャトルバスでマリエン橋まで5分ほどのところの停留所まで行き、その後城まで徒歩約15分。冬期は路面凍結や積雪のため運休の場合あり。
(チケットを購入していない場合は集落内にあるチケットセンターで必ず購入する。しかし人気があるため希望する時間のチケットが取れるとは限らない)
その他、ミュンヘンから日本語ガイド同行の日帰り観光バスで行く方法もある。
ドイツ中部の町アイゼナハ郊外の山上に建つヴァルトブルク城。現在残る主要な部分は1170年に後期ロマネスク様式で建てられ、その後増改築が繰り返された。13世紀始め頃には騎士や宮廷恋愛歌人が集まり詩歌を競い合った歌合戦の舞台となった。この城で育まれた文化は後の中世ドイツ文学や音楽に大きな影響を与え、19世紀にワーグナーが作曲したオペラ『タンホイザー』はこの歌合戦が題材となっている。
城の本棟から木製の渡り廊下を進むと、宗教改革者ルターが1521年に国外追放となったときに匿われていた小部屋がある。ルターはここで新約聖書をギリシャ語からドイツ語に訳す偉業を成し遂げた。この訳はのちに標準ドイツ語の基盤となり、ドイツ語圏全体に大きな影響を与えることになった。18世紀にはゲーテが訪れ、当時荒廃していた城の修復、保存を訴えた。
ベルリンに隣接する町ポツダムにあるサンスーシ宮殿は、プロイセン王のフリードリヒ大王(2世、1712~1786)が夏の離宮として1745~1747年にかけて建築したロココ様式の宮殿。大王自ら設計に加わり、宮殿建築や庭園造りに力を注いだ。内部には主たる12の部屋が並んでおり、中央に位置する楕円の間をはじめ、フリードリヒのロココと呼ばれる室内装飾が見事。楕円の間は大王が哲学や音楽、絵画に没頭した場所で、大王が敬愛したフランスの哲学者ヴォルテールを招いて討論し、自ら作曲もしたフルートの演奏を楽しんだ。
サンスーシ宮殿自体の規模は小さいが、周囲には多くの見どころがある。とりわけ足を運びたいのが城のすぐ東側にある大王の墓。大王の希望により、愛した犬たちの墓石とともに大王の墓石が並んでいる。大王の墓石の上には、なんとジャガイモが供えられている。寒冷でやせたこの地でも育つジャガイモ栽培を奨励して人々を飢餓から救った大王への感謝がこめられているのだそう。
サンスーシ宮殿の前は、テラス式の階段状のブドウ畑や彫刻、噴水が優美なフランス風庭園となっている。さらにその先は、290ヘクタールもあるサンスーシ庭園が広がり、200室以上もある新宮殿や、東洋趣味の中国茶館などが点在しているが、これらまで見学するにはかなりの時間と体力が必要となる。
シュトゥットガルトから南へ約60km。黒い森に囲まれたこの地方はプロイセン王家であるホーエンツォレルン家の発祥地であり、築城の歴史は11世紀までさかのぼる。全壊と再建を繰り返し、現在のような姿になったのは1867年、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の時代。ノイシュヴァンシュタイン城(1869年建築開始)とほぼ同時期に建てられたこともありよく比較されるが、その姿は大きく異なっている。城壁に囲まれた軍事要塞でもあるホーエンツォレルン城はどことなく無骨な姿だが、そこにドイツらしさが感じられ、ドイツ屈指の名城と高い評価を得ている。
ホーエンツォレルン城は現在もドイツ最後の皇帝の子孫が所有しており、城主が滞在している時は中央塔の上に旗が翻る。外観は軍事施設を備えた姿だが、内部は快適で優雅な居住空間が展開している。城主一族がプライベートで使用しているエリア以外は公開されており、書斎、寝室、サロンなどを回り、最後に訪れるのが宝物室。ここにはフリードリヒ大王の遺品や、ダイヤとサファイアをちりばめたプロイセンの王冠など、ドイツの歴史的遺産が数多く展示されている。
ホーエンツォレルン家には、ある亡霊伝説がある。白い服を着た女性ヴァイセフラウの亡霊を見た人はその直後に死んでしまうという言い伝えで、かつてこの亡霊が城の秘密の地下壕にも現れたことがあるという。埋没していた地下壕が20世紀になってから発見され、現在は中庭から地下壕へ通じるコースが整備されている。怖い話が好きな人は、ぜひこの地下壕へどうぞ。長い地下道を歩いて行くと、ちゃんと城の外へ出られるようになっている。
ニンフェンブルク城は、「妖精の城」という意味の名にふさわしく、まるで羽を広げた白鳥のような優美なシルエットをしている。バイエルンを支配したヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として1664年に建築が開始され、たびたび増改築が繰り返され現在の姿になった。歴代国王のお気に入りの離宮であり、ノイシュヴァンシュタイン城を築城したルートヴィヒ2世が誕生したのもニンフェンブルク城である。誕生の部屋は今も残されており見学することができる。城の中央部にある祝祭の大広間の巨大なシャンデリアや華麗なロココ様式の装飾は、思わず立ち尽くしてしまう美しさだ。
この城で見逃せないのが美人画ギャラリーで、ルートヴィヒ1世が愛した女性36人の肖像画が部屋の壁面を埋め尽くしている。描かれている全員が彼の妻や愛人というわけではなく、自分の娘やルートヴィヒ2世の母の肖像も含まれている。なかには、後にルートヴィヒ1世を退位に追い込む原因となるスキャンダルを引き起こした踊り子ローラ・モンテスの肖像画もあるので、ぜひ探してみて!
広大な敷地に建つニンフェンブルク城の周囲は庭園が広がり、小さな城館や博物館も点在している。本棟の南側に建つ馬車博物館には、ルートヴィヒ2世が南ドイツの雪原を快走するのに使った黄金のソリや、豪華絢爛たる馬車が展示されているので、彼のファンはぜひ訪ねてみたい。
城は、歴史を伝えてくれる建築の宝物。次の旅では、過ぎ去ったロマンティックな時代に浸れる美しい城や宮殿をぜひ訪れてみて。
TEXT:鈴木眞弓(アルニカ)
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