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2024年8月に発売した『地球の歩き方 横浜市』は、「地球の歩き方」ならではの視点で横浜市を深堀した「横浜旅のバイブル」的存在として、発売以来好評を博している。今回は、その執筆者が、『地球の歩き方 横浜市』に掲載できなかったもののなかから、日本の歴史の舞台となった鶴見区「花月園」と「生麦事件」のストーリーを紹介する。
2025年、昭和100年を前に、『地球の歩き方 横浜市』に寄稿させていただいた。ブラジルや南米諸国、沖縄の住民とレストラン、イベントなど多文化共生の鶴見区について、そして忘れ去られて行く地域の大切な共有資産である歴史、文化、音楽におけるページを担当させていただいた。横浜市内に限らず、日本史に大きく関わって来た現場、その歴史と価値が、若い世代の人たちに受け継がれ、さらに伝承されて行く事を願って止まない。活動や番組を通じて本書への反響やさまざまな読者の皆様に興味をいただけているのを知り、あらためて身が引き締まる思いだ。
かく言う筆者も、90年代の10代に『地球の歩き方』を片手に単身ブラジルへ渡り、世界各地で音楽活動をするようになったひとり。本書に寄稿させていただいたことを振り返ると、さまざまなご縁や運命が重なってと感謝するばかりだ。そして諸外国で社会文化に関わる活動では、自分自身が何者なのか、どんな地域・歴史文化性を持っているのかを常に問われてきた。横浜市に限らず、日本各地を私たちがあらためて再発見していく普遍的な意義はますます訴求されるだろう。
今回は、本書に掲載できなかったなかから、日本の歴史の舞台となった鶴見区「花月園」と「生麦事件」のストーリーを少し綴りたい。
歴史の教科書でもおなじみ「生麦事件」(『地球の歩き方 横浜市』P.152に掲載)で知られる旧東海道沿いの横浜市鶴見区の生麦(現:岸谷)。ここで私は産湯に浸かり、近所の歴史ある杉山神社でお宮参りをさせていただいた。
歩いて数分の距離にある「旧:三笠園(現:岸谷公園)」の名残であるプールで生まれて初めて泳いだが、そこが皇族の朝香宮鳩彦王も訪れ、オリンピック予選も行われた日本近代水泳発祥の地だったとは子供の頃は思いもよらなかった。そのすぐ横には故アントニオ猪木さんの生家があった事も、大人になり猪木家と奇遇にも関わる事になってから知った。
旧三笠園から歩いて数分の距離には「花月園」という名の競輪場があった(2010年閉場、現鶴見花月園公園)。ここはもともと、大正デモクラシー全盛期に、パリの郊外にあった児童遊園地をモデルに
「1914 (大正3)年に開園した、 日本で最初の児童遊園地である。大山すべり、大つり橋、豆汽車、観覧車、飛行船塔など、当時の最新式の珍しい遊具やスリル満点の施設を次々に―(さらに動物園も作り)、子どもたちを狂喜させた。園内に特設された野外劇場では、二代目市川猿之助の野外劇や1915 (大正4 )年にドイツ留学から帰国間もない山田耕筰指揮の演奏会、1917(大正6 )年には現代舞踊の創始者石井漠の創作舞踊詩の上演など、革新的な文化創造の一翼を担っていた・・・(引用抜粋)」
と、現在の鶴見花月園公園案内板にも記されている。
当時の花月園には内閣総理大臣以下の政治家、与謝野晶子や森鴎外をはじめとした文化人も出入りしたそうだ。なかでも筆者が興味をそそるのは園内に作られた日本最初の営業ダンスホールで、外務省や海軍省の外国人接待にも利用され、外国の艦隊が入港すると将兵をここに招待したそうだ。「東洋一の遊園地」と呼ばれた園内に「紳士淑女の国際的な社交場」として一世を風靡した社交場「花月園舞踏場」があったのだ。
「1920(大正9)年に開業した日本で最初の営業用ダンスホールは、東京、横浜周辺の知識人に愛され、官公庁の外国人接待舞踏会としても利用され、谷崎潤一郎の『痴人の愛』や里見弴の『多情仏心』でも広く知られるようになった」
と、現在の鶴見花月園公園の案内板に明記されている。
「ダンスホール花月園」は当時最先端のジャズやタンゴ、ラテンダンスミュージックが演奏された最初の現場であり日本における社交ダンス発祥の地だった。その因果は、その3世代後の私自身にまで繋がっている。私はラテンやブラジルの音楽と本場現地に関わり続け30年ほどとなる。
ちなみに、現在のキリンビール生麦工場は元々「玉井飛行場」だった。現在「生麦事件碑」(『地球の歩き方 横浜市』P.152に掲載)が残る場所のすぐ海側だ。近所に在住の祖父は日本を代表する航空機の開発設計者、設計指導者のひとりとして、戦前のカラー印刷の専門誌に連載を寄稿していた人物だった。曽祖父より花月園内に限らず海外・外国人と関わりがあったが、祖父は欧米の舞台芸能・映画・音楽に通じ、宝塚最古の映像を撮影したカメラマンでもあった。
花月園には「西の宝塚・東の花月園」とも称された「花月園少女歌劇団」の活躍する舞台としても華やいだ時代があった。近所に日本最先端の現場があった関係もあり、祖父母と母は、鶴見のラテン社交ダンス会に参加していた。私は家庭内でよく流れていたラテンやブラジルの音楽を聴いて育ち、その後『地球の歩き方 南米1 1996~1997』だけを頼りに(まだインターネットも普及する前)単身ブラジルへと渡り、その後、長年活動する事になった(本書のオファーを正式にいただいたのも、リオデジャネイロ滞在時だった)。そしてブラジルの音楽を通じて、アントニオ猪木さんで知られる猪木家との繋がりができた。のちになって、鶴見区生麦、岸谷のご近所同士であった事を知り、お互い驚いた記憶がある。
2024年秋、日常的に通う近所の花月園公園でたまたま出会ったひとりの老人男性と、話す機会があった。鹿児島のご出身との事だったので、私は「薩摩の方はあの『生麦事件』についてどのようにお考えなのですか?」と尋ねた。すると、事もあろうに島津久光一行によるその大名行列に薩摩藩士として先祖が参加していたという話のほか、西郷家の知られざるエピソードを教えていただき驚いた。
その鶴見花月園公園から徒歩5分ほどに、全国的に有名な曹洞宗の大本山「總持寺(そうじじ)」(『地球の歩き方 横浜市』P.152に掲載)がある。家の近所なので、子供の頃から散歩がてら祖父母と共にお参りし、親しむお寺で、中学、高校時には学校の課外授業で坐禅をした経験もある。
2024年の秋のある日、總持寺で行われたイベントに足を運ぶと、鶴見歴史の会の会長をはじめ、会の方々にお会いする事ができた。貴重な写真や資料がパネル展示されているなか、本書で執筆を担当したコラム「横浜大空襲と戦後復興」(『地球の歩き方 横浜市』P.336-337に掲載)についてのパネルがあったので見ていると、横で同じパネルを見ていた95歳の女性からおもむろに話しかけられた。女性は横浜大空襲当日の生々しい記憶を思い出すように聞かせて下さった。2年近く前に99歳で亡くなった祖母からも、私は横浜大空襲の話を幼少時から長年聞かされていたが、改めて新たな実体験の記憶を拝聴する事となった。
2023年に館主が他界したことにより閉館している「生麦事件参考館」(1994年開館)の再開に向け協議が進められている。『地球の歩き方 横浜市』でも取り上げたかったのだが、閉館中だったので掲載を見送った。生麦事件は大名行列に乱入してしまった英国人の若者が薩摩藩士によって殺傷され、イギリスによる報復で薩英戦争となった(『地球の歩き方 横浜市』P.152に掲載)。それが転じてイギリス介入が明治維新の引き金になった事は現在の日本の運命にも大きく繋がっていると知られている。貴重な資料文献、錦絵、写真が所蔵されている事で価値深い生麦事件参考館の再開と運用について参加のお誘いをいただいている。今後も日本の歴史に関わったドラマを、鶴見区生麦を訪れ、現場臨場感をもって感じ、興味をもつ人が増えることが期待されている。また事件を通じて見えてくる、多様性・国際性・他者理解への歴史的モデルとして、世代を越えた交流、集いの場として有意義に機能する事を願ってやまない。今年はコロナ禍後5年ぶりに生麦事件顕彰会主催で生麦事件発生162年の追悼祭が行われた。
生麦事件参考館の館主で、同研究者として有名だった故・浅海武夫さんの晩年にお話をさせていただき、資料をいただいた事も忘れ難い。歴史的事件の影で、その後人道的な働きをした日本人2名と生麦、鶴見の人々の心意気にも注目したい。それは世紀の国際事件の目撃者で、自費で慰霊碑を建てた黒川荘三氏。そして生麦事件で殺傷された英国人リチャードソンと、事件後に亡くなったマーシャルとクラークの墓を整備し合祀までした浅海武夫さんの配慮だ。
『地球の歩き方 横浜市』を片手に、ぜひ生麦〜花月園〜見所満載の鶴見区を訪れて欲しい。
TEXT&PHOTO:KTa☆brasil(ケイタブラジル)
写真資料協力:鶴見歴史の会
J16 地球の歩き方 横浜市 2025~2026
地球の歩き方 Jシリーズ(国内)
2024/08/01発売全18区の魅力を深掘りし、別冊含む488ページに情報集結。何度でも読んで歩きたくなる、圧倒的情報量の「横浜の旅事典」。
全18区の魅力を深掘りし、別冊含む488ページに情報集結。何度でも読んで歩きたくなる、圧倒的情報量の「横浜の旅事典」。
筆者:KTa☆brasil(ケイタブラジル)
音楽家、DJ、選曲家、MC。音楽・歴史文化ライター。Newsweek誌『世界が尊敬する日本人100』、UNIQLO世界同時広告「FROM TOKYO TO THE WORLD」に世界で活躍する打楽器奏者として選出。ぐるなび「みんなのごはん」でも大型鶴見特集を寄稿。リオのカーニバル、パリコレ、W杯、オリンピック他国際舞台で多数実績。リオ五輪では日本政府によるJAPAN HOUSEの音楽イベントをプロデュース、出演。各国政府・国際企業のブラジル事業で実績多数。命名した共著書『リオデジャネイロという生き方』(双葉社)、カメラマンとして表紙他も担当した『ブラジルの歴史を知るための50章』(明石書店)他、多数書籍・活字メディアに執筆寄稿。MTV、J-WAVE、TOKYO FM、NHK他レギュラー番組実績も多数。自主企画案内の「生麦・鶴見ツアー」は4年で230回を越えた。生麦地区センターでは本場ブラジルの名門サンバチームの公式指導者証をもとに、打楽器レッスンを行っている。メンバー募集中。
▼筆者が執筆したぐるなび「みんなのごはん」