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伏見の醍醐寺です。
醍醐寺と言うと 豊臣秀吉が 花見を行った寺院として有名です。
今では 桜の季節に「お花見」は 当たり前のように なっていますが
花見が庶民の間に知れ渡る きっかけとなったのは 豊臣秀吉による
「醍醐の花見」だったと伝わっています。
この日 抜ける様な 青空が 広がっていました。
慶長3年3月15日(1598年)豊臣秀吉は 醍醐寺において、豊臣秀頼、北政所、淀殿ら
近親の者を はじめ・・・・諸大名や配下の者など 約千三百名を従えて
一日限りの 花見の宴を行いました。
世に伝わる 日本史上最大の花見と 言われる 『醍醐の花見』でした。
花見の日・・伏見城から繰り出した 行列は 約四キロにも なったと言われています。
その日の 宴の席順も 書物に残されていて、一番目に北政所、二番目に淀殿、
三番目に松の丸殿、四番目に三の丸殿、五番目に加賀殿、その後に
側室ではないものの 長く付き合いのある まつ(前田利家正室)が続いたと
記録されています。
宴会の席では、正室である 北政所の次に杯を受けるのを 淀殿と 松の丸殿が争い、
まつが その場を うまく取りおさめた という話が 伝わっています。
縁のある人達と 諸大名や配下の人達・・・・・1300人を 従えてのお花見
さぞかし 華やかな宴だったのでしょうね。
五三の桐の家紋が 桜の中に 浮かび上がっていました。
この花見で詠まれた秀吉の 和歌は 今も 残されています。
『 名もしらぬ 桜は寺を あらわして いつか忘れん 花のおもかげ 』
秀吉の「醍醐の花見」は、慶長3年(1598年)3月・・・秀吉(62歳)の年でした。
秀吉は この 花見の為に 近畿各地から 七百本もの 桜を植えさせています。
醍醐寺は 秀吉の 花見・・・・『醍醐の花見』で有名な 寺院になりました。
秀吉が亡くなった後・・・・・・・豊臣の家臣達は 各地に
素晴らしい桜を 残したとも伝わっています。
この日 醍醐寺の空は 雲一つない晴天の空でした。
晴天の下に 咲いた桜は・・・・・・・・・・・・
カメラにも 収まりきらない 存在感で・・・
これぞ 『醍醐の桜』と言う 素晴らしい桜でした。