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gauchoガウチョとは、18世紀末、アルゼンチンやウルグアイのパンパ(大草原地帯)の農村にすむ、アルゼンチン生まれであるクリオージョ(スペイン出身者が移民をし、現地に定着しそこで生まれた子供、もしくは先住民との混血)でありながら、独立心旺盛でありまた一般的な社会生活から反抗し、農村地帯で暮らし、馬の扱いが上手で、農牧業には長けていながら、定着した生活が嫌いな人々でした。
1777年に初めて文献に、現在のウルグアイであるバンダオリエンタルのマルドナルドからしばらくいった、山間に住んでいたのが目撃されたと記されています。おそらく現在のローチャの丘群のことではないかと思われますし、そこが当時は一番東の果てのような地帯でした。
マルドナルドのパブロ カルボネル将軍は、1771年10月23日、ブエノスアイレスの副王フアン ホセ ベルティスに手紙を書き、そこで34人のガウチョを見たとあるのです。
ガウチョという名称の起源は現地の言葉であったケチュア語でいう、流浪の民とか、孤児いう意味であったワッチュという言葉が変形したといわれています。当時はガウチョは必要なときにあちこちの牧場で雇われて生活していましたあまり定着を好まない人々で馬乗りにたけ、また牛や馬の産物を利用した手作業を行い、また荒々しい性格ではありながら、人情、友情、義理などを重んじる人々でした。また、独立戦争などに借り出され、主人のために真剣に努めたという記録もあります。
そのため、日本の武士と似たところがあります。
その後、19世紀初頭に移動生活をしていたガウチョではなく、一般的にパイサーノと呼ばれる農村居住者がガウチョが行っていた仕事をするようになります。もちろん、今でも本当はパイサーノなのですが、日本の武士と同じく、サムライというように、対外的にもまた田舎の生活を知らない人たちには ガウチョと呼ばれ続けています。そして、
また一方で ガウチョの精神はアルゼンチンの人々に受け継がれています。
ですから 「いい男」という意味でガウチョと称されれば賛辞ですし、「ガウチャーダをお願いします」といわれれば、仁義を前提として、恩に着ますから本当によろしくお願いします、と真剣なお願いです。「ガウチャーダをしてくれた」といえば、格別の計らいをしてもらったという意味です。
ガウチョの伝統的な衣装はこのように、ポンチョや、そして、腰にさす大きなナイフ、そして、ベルト飾りやブーツなどがあります。
そしてガウチョたちはプルペリアと呼ばれる居酒屋に集います。
ここまでご説明して単に ガウチョ=カウボーイ(馬を操る牧場の人)
と説明するのが断片的だということがお分かりだと思います。
そんな ガウチョを 今でも「見る」そして「体験」できるのが、
首都ブエノスアイレス市内から 2時間ほどで訪れることができる、
San Antonio de Areco サン アントニオ デル アレコという町です。
今年2015年1月アルゼンチンの伝統の町として制定もされています。
町ごと、博物館のように100年以上も前から時がとまったような場所です。
どんなアルゼンチンのガウチョ的アクティビティができるかは、これから紹介します。
なお、遠方なのでチャーター車で、行くことも可能です。
juancarlossprinter@gmail.com でツアーも組んでもらえます。
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(9月お題"アクティビティ")