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先日新聞で、韓国の2006年度の特に住宅・賃金・教育などの分野でさらに社会的格差が広がっているとのニュースを目にしました。
統計庁が明らかにしたもので、それによると大卒者と高卒者のサラリーの差がさらに広がり、
子供への教育費は親の学力によって3倍も違いがあるとの結果が出ています。
学力別賃金が2002年度の高卒者賃金を100とした場合、2002年度の大卒者以上は153.8、
中卒者は83でその格差70.8だったのが、2005年度では大卒者以上が157.8、中卒者以下は83.7と
その差が74.4とさらに広がっており、また子供にかかる教育費をみてみると、月平均大卒者の場合
2005年37万ウォンだったのが2006年度には45万ウォン、高卒者の場合28万ウォンから30万ウォン、
中卒者の場合19万ウォンから18万ウォンと、消費支出のそれぞれ約14%ほどが教育費として支出
されているようです。
両極化が進んでおり、親の学力別の所得の違いで子どもへの教育の内容も変わってきていることに
なります。
実際生活をしてみて感じるのは、子供を持つ人がみんな猛烈に教育熱心なこと。
基本的にどこの家庭も習っているのは国語に数学に英語などで、その他には美術やテッコンドーに
ピアノなど・・・高学年や中高生になればその他の科目に論文や論述・・・。
平均教育費は大卒者で45万ウォンほどとなっていますが、弁護士の妻が子供の教育費を稼ぐために
家政婦をしているという話があるほど、膨大な教育費をかけている人も少なくないようです。またもっと
ネイティブな英語を子供に身につけさせるために、子供をアメリカやカナダなどの学校に送り、父親だけが一人で韓国に残って子供と妻への仕送りのためにアクセク働いている人(キロギ<雁・渡り鳥>アッパ<パパ>)もいます。
テレビのある番組でも、低所得者の家庭のある成績トップクラスの中学生が「いくら一生懸命に勉強しても塾でしか教えてくれないことがあり、塾に行く子にはかなわない>という言葉を聞くと、うっかりとしてられないという思いにさせられます。
もちろん一生懸命に勉強することはいいことだと思います。が、そんな厳しい競争社会の中でも、昔から韓国人の根本にある人を思いやる<深い情>だけはなくなってほしくないなあという思いも湧いてくるのです。