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伊賀の国・上野城②(高石垣)
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白鳳城とも言われる上野城。
鳳凰が翼を休める姿に見立てられたという美しい異名を持ちます。
その天守は、五重であったろうと言われています。
完成間近に当地を襲った暴風により、倒壊したとのことで詳細は不明・・・。
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現在は層塔型3層3階は、木造の模擬天守です。
本来の五重?のところに1935年、模擬天守閣を備えました。
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築城は1585年(天正13年)
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元々は平清盛の発願によって建立された平楽寺という大寺院跡。
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鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、戦国時代など様々な時代を経て、慶長16年(1611年)藤堂高虎氏が筒井定次氏の城跡を拡充し、伊賀上野城を大幅に改築しました。
大坂方に対抗するために特に西方面(伊賀城から見て西側に摂坂城=大坂城がある)の防御・盾となるように改修されました。
これが現在の上野城の原型なのです。
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城の方は復元なのですが、石垣と内堀は藤堂高虎が築城した当時のまま、現存しています。
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この当時のままだという石垣は日本でも一、二を争う高石垣として有名です。
(打込はぎ)の技法。
根石より天端まで29.7m。(約30m)
三方に張り巡らされ、延長368m。
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この高石垣は大坂城がある西面に向けて築かれています。
水面からの高さが約30m。
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徳川家康が大坂城(豊臣方)との合戦を交え、危うくなった際には堅牢である上野城に立て籠り、体勢の立て直しを図るつもりで築城の名手・藤堂高虎に改修を託したのだと言われています。
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実際を見学してみますと・・・
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(天守閣に近い石垣からお堀を覗いてみると・・・。)
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(水面から約30mの高さ。)
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やはり高いです。
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高層建築を見たことのある現代人よりも、当時としては今以上により高く感じたに違いないと思いました。
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(上野城から見た県立上野高校。現在唯一、現存している建造物・武具蔵は上野高校図書館横に位置する。)
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高石垣にある植物には希少種を記すピンクのテーピングのある植物があるそうです。
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それ以外を石垣の雑草の手入れとして自衛隊が訓練の一部で毎年行っているとのこと。
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また高すぎる石垣ゆえか危険な転落もあったといわれています。
一般人ではとても登れない造り。
やはり現代でも充分、高いようです。
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(台所門西側の石垣解体修理時に見つかった古い石垣・・・藤堂時代(1608~1871年)の石垣の内側からそれ以前の石垣が発見されました。)
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今や、一大ブームとなっている歴史や城郭関係。
興味のある方には、名築城家である藤堂高虎の手掛けた城の中でも評価の高い(伊賀・上野城)は特にお勧めスポットです。
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【伊賀上野城】
住所:三重県伊賀市上野丸之内106
(上野公園内)
TEL:0595-26-7788((社)伊賀上野観光協会)
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(次号に続く)