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アルゼンチン最高の牧場へ

相川 知子

相川 知子

アルゼンチン特派員

更新日
2017年12月24日
公開日
2017年12月24日
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今回はブエノスアイレス市内から150km サラディージョという地域へ 最高の牧場を探して行ってきました。

ブエノスアイレス市内から陸路1時間でもう両面大地が広がり、さらに30分行けばもう牛だらけです。

が、高速道路付近にいないことも多いです。

今回は3500ヘクタールほど牧場へ行ってまいりました。

日本の東京ドームは5ヘクタールですから、これ以上大きければ、実は50ヘクタールも、500も、5000もあまり感覚わかりませんが、

行っても行っても大地に牛なのです。

ブエノスアイレスから150キロ行ってようやく到着しました(アルゼンチン的には2時間程度で陸路移動です、キロ数よりもブエノスアイレス市内と近郊が少し混んでいます)

ブエノスアイレス州のサラディージョは、

コロニアル植民地時代から牧畜で発展しました。特にアルゼンチンが独立1816年以降もさらに牧畜業で発展している

伝統的な地域です。

こちらは現在3500ヘクタール 1000頭ほど牛がいます。もちろん、牧場での仕事は馬が必需品です。

アルゼンチンの牧場内には水が溜まっている部分、低くなったした土地などいろいろありますので、細かく移動したり牛の間で

は馬が必需品です。

私はこのトランケーラ(ゲート門)が大好きです。この先に行くと素晴らしいところがあって、とわくわくします。

もちろん、ここら辺は車で入ることができます。

ブエノスアイレス州 サラディージョ市に位置する牧場の歴史は、

19世紀末、

Hermenegildo García Verde エルメネグリド ガルシア ベルデ(スペイン人が)が投資のため、

取得した牧場を、その没後、息子の一人、イエズス会の司祭だったラモン・ガルシア・ヴェルデに継承しました。

地元の生産者に土地管理生産を依頼

1970年代初頭 イエスの会は、土地売却を決定し、

多くはラモン・ガルシアの甥ヴェルデが購入。兄弟三人、マヌエルManuel、Fernando

フェルナンド、Luis García Llorenteルイス ガルシア ジョレンテの時代になりました。

1989年にサンタ・マリア・レクエルドは、

高品質遺伝子のアンガス牛を増やす改良を実施し、

フェルナンド・ガルシア・ジョレンテが経営しましたが、

2004年、フェルナンド・ガルシア・ジョレンテがなくなり

妻、アナ・マリアGaratとその4人の子供によって経営されることになり、現在

息子さんのフェルンナンドさん(親子で同じ名前でややこしいです)が中心になっています。

この牧場では、アルゼンチンでは、アベルディナンングスまたは、アングスと言いますが、

日本語では、アバディーン・アンガス (Aberdeen Angus)ですね。

アングス牛牧場のすべてのステップ、

自然牧草、そして少し植草がおこなれ、牛は基本的に牧草を

はみながら、母牛は子供を産み、母乳で育て、小牛、去勢成牛を生産しています。

一般的に牛のことをバカと言いますが、

小牛はテルネラ(メス)・またはテルネロ(オス)

そして去勢若牛は ノビージョと呼びます。そしてこのお肉が一番アルゼンチンでおいしくアルゼンチン人が好きなものです。

子牛はあまり味がないんだとか。。。。

体格がいいのがアングス牛の特徴ですが、本当に大きい体格です。

しっかり自然の牧草を食べて、しっかり広い大地を歩いて運動して肉が引き締まっているのです。

この牧草もある程度食べてくれたら、また別の区画へ移動させておくと、今度はまた成長して長くなります、そうすると、またそこの区画へ戻すことができるのです。

私も 牧場大好きです。一番素晴らしい景色だと思います。ベレー帽で もう牧場っ子です。

こんなに近くに! というのはとても好奇心が旺盛なんですよ! 襲ったりはしませんので大丈夫です。

((もちろん、注意事項を守ってくださいね!))

ほーらカメラ目線です。

なお、せっかく育てて肉を食べるための牛ですが、牧場では牛を殺すことはできません、特別の処理工場フリゴリフィコへ運ばれます。

その後、ここの牧場のお肉はウリエン ロッサ株式会社

Urien Loza S.A.というブランドで輸出されています。

さあ、お肉の箱を持ってきてもらったので、食べるのは次の記事までお待ちください! 最強の牛肉を披露します!

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