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《護王神社の歴史》
京都御所の西側、蛤御門の向かいにある護王神社の大きな絵馬には、
来年の干支「亥」(イノシシ)が描かれてます。
護王神社は、もともと高雄山神護寺の境内にあり、和気清麻呂(わけのきよまろ)公を祀っていました。
「護法善神」と称され祀られていましたが、江戸時代末期に和気清麻呂公の功績が讃えられ、
明治7年(1847)に「護王神社」と改称されました。
そして明治19年(1866)に明治天皇の勅命で、御所の西の現在の位置に移って来ました。
《和気清麻呂公とイノシシ》
神社に入ると沢山のイノシシに出あいます。
清麻呂公は、桓武天皇に平安遷都を推進し、造宮大夫として活躍した方です。
しかし、九州・鹿児島へと流刑に処されます。
鹿児島へ向かう途中、大分県の宇佐八幡へお参りに向かいました。
その時、どこからか三百頭ものイノシシが現れ、宇佐八幡への道のりを案内してくれたそうです。
その頃の清麻呂公は辛い足の痛みに悩まされていたそうです。
イノシシたちの守護と道案内のおかげで、清麻呂公は無事に宇佐八幡宮で参拝を終えると、
あれほど痛かった足の痛みは治っていたそうです。
この故事に因み、清麻呂公を祀る『護王神社』は"足腰の守護"のご利益が頂ける神社として知られるようになりました。
《足腰の神様》
護王神社は、毎年行われている京都マラソンや全国高校駅伝の時期には多くのランナーの方が参拝に来られています。
僕も数年前にギックリ腰を起こした時、ここにお参りしました。
来年の干支は亥(イノシシ)ですから、より多くの方がお参りされそうです。
《護王神社》
○所 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町(京都御所蛤御門前)
○アクセス
地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、北へ徒歩7分
市バス51系統「烏丸下長者町」下車すぐ
○境内 無料
〇参拝時間 6:00~21:00