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看護師といえばこの人!フローレンス・ナイチンゲール博物館

小野 雅子

小野 雅子

イギリス特派員

更新日
2019年11月6日
公開日
2019年11月6日
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看護師または医療関係者でなくとも、誰でも知っているフローレンス・ナイチンゲール。今から約200年前の1820年5月12日に生まれた彼女の誕生日は、「国際看護師の日」になっているほど歴史的に有名な看護師さんですよね!

彼女の軌跡と功績をたどる事ができるのが、今回ご紹介するフローレンス・ナイチンゲール博物館。場所はテムズ川サウスバンクに近い聖トーマス病院に付属してナイチンゲールが創設した、看護学校の跡地にあります。

基本的に週7日午前10時から午後5時までオープンですが、例外として12月21日~12月27日と12月31日~1月1日は休館です。入場料金は大人8ポンド、なお景観保護団体ナショナルトラストの会員証を提示すれば半額の4ポンドとなります。

ちょっと意外かもしれませんが、彼女はとても裕福な家庭のお嬢様でした。名前のフローレンスも、両親が2年ほどかけてヨーロッパを巡る新婚旅行中にフィレンツェで生まれたため。フィレンツェの英語名、フローレンスと名付けられたのです。

姉とともに当時の女性としては最高クラスの教育を受け、将来はリッチな上流階級夫人となるべく育てられたフローレンスですが、やがて人々に奉仕する道を志すようになりました。看護師になる勉強をしたいと決意した彼女は、母親と姉の猛反対を受けながらも、唯一の理解者である父に援助され初志貫徹。

展示品の中には彼女の裕福な子供時代を示す品々とともに文芸書や聖書なども沢山あり、うわべの豊かさではない「人々と社会にとって大切なもの」を追求し続けた、1人の女性の足跡を見ることが出来ます。

やがてクリミア戦争が勃発。戦地における負傷兵の状況が悲惨という現状を受け、キリスト教シスターと職業看護師ら総勢38名の女性を率いて従軍したのは、フローレンス34歳のとき。その後2年間を野戦病院で看護に尽力しました。

これはフローレンスが実際にクリミア戦争地で使用していたランプ。夜間はこの灯りを手に負傷兵たちのベッドを巡回し「The lady with the lamp(ランプを持った婦人)」と称賛を込めて呼ばれたそうです。

その象徴的なランプを持った姿は、博物館内ショップにあるお土産のひとつにもなっています。こちらのショップには、もうひとつユニークな商品がありました。

蒸留酒の一種、ジンに関する本やグラスにコースターなど。何故ジンなの?と最初は首を傾げましたが、コースター外箱の裏に書いてある説明を読んで納得。

「クリミア戦争中はさまざまな物が国民から兵士たちに贈られ、フローレンスはそれらを管理し兵士たちに配りました。ヴィクトリア女王からは女王のお気に入りの石鹸が贈られたところ、フローレンスは王室執事あてにお礼の手紙をしたためましたが『少しのジンの方がもっと喜ばれることでしょう』と書き添えました」・・・ウィットにも富んだ女性だったのですね!

クリミア戦地で2年間を過ごしたあとは看護師の育成と、医療改革の啓蒙運動に後半の人生を捧げたフローレンス・ナイチンゲール。今もナースの師として愛され仰がれている彼女の博物館、公式ウェブサイトはこちらです!

※掲載の画像は、博物館の許可を得て撮影および使用しました。

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