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龍王山の山頂から200mほど離れた場所に「天柱岩」という磐座(いわくら)があるというので、やっと登った山をロープ伝いに恐ろしいほど下へ下へと下りて行きます。
滑り落ちるように下りて行ったら天柱岩らしき磐座が見えました。
下の道にまわり込むと、見上げるように突き抜けた岩で間違いなく天柱岩です。
立派な岩ですが、ここから遊歩道に戻るにはもと来た山道を引き返すのが確実です……
夫は「龍王山の山頂まで戻ろう」といいますが、あのロープ道を今度は登るというのは、おっくうです。
(∩´﹏`∩)
ずり落ちるように降りてきたのですよ~。
スマホで位置を確認しても現在地の道は出ていませんが、この道をそのまま歩いてみようと提案します。
勘だけを頼りに山道を歩くつもりでしたが、どうやら夫は鳥瞰図を見るように頭の中でどのへんを歩いているのかわかるらしいのです。
Σ(゚Д゚)スゴッ!!
それって超能力?
やっと、所在のわかる場所に出てきました。福田海という修験道の寺院です。
ほとんど、麓まで下りていました。
寺院だけに墓地が見え、紅葉がきれいです。
この近くに藤原成親の遺跡に通じる道がありました!
やった、遺跡に着けば遊歩道に戻れる。
ただ、崖崩れの案内板があったので無理だったら引き返すことにします。
竹がしわっています。
この先から谷道を歩く地形となり、根こそぎ倒れた木が現れ2年前の豪雨の爪痕を残していました。
自然の力のなせる業に畏敬の念を抱きながら見つめました。
そうこう歩いているうちに藤原成親の墓に着きました。
京都、鹿ケ谷で僧俊寛と一緒に平家打倒の密議がバレ、俊寛は喜界島へ成親はここ「有木の別所」に流され、平清盛の信頼が厚かった備前の難波経遠によって非業の死をとげます。
テクテク歩いてタイボーの足跡に出ました。
タイボーとは大きなお坊さん(大坊)の足跡と伝わる窪地です。
これ、ゴジラの足跡以上に大きな窪地ですよ~。
その近くには八畳岩古墳がありました。
6世紀、飛鳥時代の頃に作られた古墳と推察され、麓にあった「成親供養塔下古墳」も同時期の古墳です。
さらに歩くと八畳岩。
これも磐座だそうで、北側の土の中から土師器(はじき)が出土したことから祭祀が行われたあと、使った器は割って埋めていたといわれています。
この山を歩くだけで神様の拠りどころがいたるところに残り、神体山と仰がれる背景がよくわかります。
また遊歩道から外れ下っていくと、大きな岩々が山道に沿って一様に横たわっています。
先端は見上げるような巨岩で鏡岩と呼ばれています。
遊歩道に戻ると300m先に古墳の案内板がありましたが、下り坂なので……スルー。
ただ歩くだけで、見どころも次々と出てくるので楽しいです。
茶臼山古墳の一角にある穴観音様。
真ん中の穴に耳を傾けると観音様の声が聴こえるとか……
聞こえなかったけどね……。
茶臼山古墳は備中国のエリア……と思っていると
ありました!
備中と備前の国境の道標がありました。
東側は備前国で備前一之宮 吉備津彦神社があり、西側は備中一之宮吉備津神社があります。
ここから備中国に入ります。