キーワードで検索
サッカータイ王国女子代表の通訳として活躍されているバンコク出身のミンクさん(29)に、サッカーチーム監督の通訳になるまでの経緯や、通訳の仕事のやりがいや苦労などについて伺いました。
タイサッカーや通訳の世界について垣間みることができ、ミンクさんのチャレンジングな生き方にも大きなパワーをもらえはずです。
バンコク出身のミンクです。2021年4月からサッカータイ王国女子代表の通訳として働いています。
現在チームには岡本三代(おかもと みよ)さんという日本人監督が就任しており、私はおもに岡本監督の通訳としての役割を任されています。岡本監督の言葉をタイ語に訳して伝え、タイ人選手たちの言葉を日本語に訳して伝えています。
――現在ミンクさんが通訳として働かれている「サッカータイ王国女子代表」とはどんなチームなのでしょうか?
タイサッカー協会(略称はFAT: Football Association of Thailand)によって編成されるサッカーのナショナルチームです。アジアサッカー連盟 (略称はAFC:Asian Football Confederation) と、ASEANサッカー連盟(略称はAFF:Asean Football Federation)に所属しています。
日本語を勉強しはじめたのは大学のときです。私は「泰日工業大学」の出身なのですが、この大学は日本の産業技術移転を目的としていて「日本型ものづくり」について学ぶことができます。日本の大学ともたくさんの提携があって、卒業生の多くはタイの日系企業に就職するんです。
私の専攻は経営学だったのですが、ほとんどの授業が日本人の先生によって日本語で行われるため、必然的に日本語を学ぶことになりました。入学したらまずは「あいうえお」の勉強からスタートします。授業も先生とのコミュニケーションも日本語を使うので、自然と語学力は身についていきました。
タイには優秀な日系企業が多いので、若いうちに日本語を習得しておけば、将来仕事が見つかりやすいんじゃないかと思ったんです。あと、日本語が使える仕事だとお給料もよさそうだなぁって(笑)。母には「中国語がいいんじゃない?」とも言われましたが、私は日本語に興味があったのでこの大学を選びました。
2015年に大学を卒業し、新卒で自動車関連の会社にエンジニアの通訳として入社しました。とてもいい会社でした。大手で安定していたし、給料もいいし、職場の環境もよくて居心地もよかったし……
なのにいつも心の中にモヤモヤを抱えていました。会社にとくに不満はありませんでしたが、毎日が同じことの繰り返しな気がして、単調に過ぎていく日々に焦りを感じていたんです。
いろいろと考えて「このままくすぶっているくらいだったら、一度思い切って環境を変えてみようかな」と思い、入社して半年後に会社を辞める決断をしました。
シンプルに「もっと楽しいことがしたい、新しい挑戦をしてみたい!」と思いました。自分が輝ける場所はほかにもあるんじゃないかと。
転職の話を家族にしたら「なんでそんないい会社を辞めるの?」と最初はなかなか納得してもらえませんでしたね。でも私って、一度決めたことは突き通すタイプなんです。このときも押し切っちゃいました(笑)
私が会社を辞めたちょうどいいタイミングで、知人が新しい仕事を紹介してくれたんです。サッカー選手エージェント事業や遠征コーディネート事業を行う代理店の仕事で、これがサッカービジネスとの出会いでした。
はい、サッカーにはまったく縁がない人生だったので「人生何が起こるか分からないなぁ」って自分でもびっくりでした。転職したのは海外サッカーエージェントの会社。メイン事業は「遠征コーディネート」「選手エージェント」「サッカーマーケティング」の3つです。
おもに私が任されていたのは「遠征コーディネート」。たとえば国際親善試合をするために日本のサッカーチームがタイ遠征をするときは、その会場や審判の手配をはじめ、宿泊・食事・移動手段などの予約や管理、スケジュール作成など、総合的なコーディネートをおこないます。
すべてが未経験の仕事で、最初のうちは慣れるまで大変でした。でも2年目くらいからどんどんいろんなことを任せてもらえるようになり、気づけば「何でも屋さん状態」になっていましたね(笑) 社長秘書としてラオスやカンボジア、インドネシア、シンガポールに遠征にも行きました。
グローバルな会社だったので、社長に「もっと英語力をつけてこい」と言われ、4ヵ月ほどインド留学もさせてもらいました。インド南部バンガロールの学校に通いながらオンラインで仕事もして、給料をいただきながら英語を学びました。
インド生活は毎日が刺激に満ちていましたが、最初は戸惑いのほうが多かったです。文化や風習が全然違うし、インド料理は何を食べても辛くて、いつも自炊していました。シャワーの水の色は透明ではなくて赤や黄色など色とりどり(笑)慣れるまでは苦労しました。でも思い返すと本当に貴重な経験で、成長できる機会をもらえてすごくありがたかったですね。
代理店にはトータルで5年ほど勤め、そのあいだに日本語習得にも力をいれて日本語検定1級をとりました。たいへんなこともたくさんあったけど、一緒に働く仲間が最高で「自分の輝ける場所が見つけられた」という強い実感もあり、本当に楽しかったです。
代理店勤務が5年目に差しかかった2020年12月、突然私に「タイのサッカーチーム監督の通訳」としての仕事のオファーが舞いこんだのです。
「え、私がサッカー監督の通訳!?」と正直驚きました。「私なんかにできるのか」と……。でも自分の可能性に挑戦したいと思いました。代理店の社長に相談したら「いってこい!」と背中を教えてくれ、思い切って引き受けることにしたんです。
私が通訳として配置されたのはタイリーグ2部のウタイターニーというサッカーチームでした。監督は三浦雅之(みうら まさゆき)さん、通称「タマさん」。三浦監督の日本語をタイ語に訳し、タイ人サッカー選手のタイ語を日本語に訳すことで、双方のコミュニケーションが円滑に進められるようサポートをしました。
皆さんが「通訳」と聞いて一番最初にイメージするのは「語学力」だと思います。私もそうでした。でも実際に働いてみて、語学力以外に「対人スキル」や「幅広い分野の知識」が想像以上に求められることに驚きました。
私の場合はサッカーチーム監督の通訳なので、当たり前ですがサッカーに関する知識が必要になります。テクニックや技術の名前、身体の部位の名称など、覚えることが山ほどあって、最初のころは本当に大変でした。たとえば「半月板(ハンケツバン)」とか、タイ語でも知らないような名称もたくさん(笑)
監督から教えてもらったり、ネットで調べたりしながら、頑張って覚えました。あらゆる分野の知識を吸収しようとする好奇心や探求心が、通訳者にとってもっとも大切かもしれません。
「とてもおもしろい」と思いました。最初のうちは慣れないことばかりで迷惑をかけることも多かったですが、監督や選手など周囲のみなさんがサポートしてくれて、代理店時代とはまったく違った視点から「タイサッカー」について学ぶことができました。
また通訳の仕事を通じて自分のコミュニケーション力の新たな生かし方を見つけられた気がします。なんでもやってみないと分からないものだなぁと。ウタータニチームの通訳としていろんなハードルを乗り越えながらも少しずつ経験をかさねていくうちに、「通訳の仕事っておもしろいかも」とやりがいを見い出していきました。
そうですね、新しい自分を発見できた気がしましたね。しかしその矢先にやってきたのが「コロナ」です。この新型ウイルス襲来は私たちスポーツ業界にとっては大きな痛手。働き始めてわずか3ヵ月後、急に仕事がゼロになってしまったのです。2020年2月頃のことでした。
急に仕事がなくなってしまった私は途方にくれました。とにかく新しい仕事を見つけなければといろいろ探して、たまたまネットで見つけたのが「ナショナルチームの監督の通訳募集」だったんです。プロフィールや経歴などを記入した応募フォームを送りました。
そこから書類選考を通過し、4回ほど面接を受けました。監督専属の通訳ということで相性のよさが一番大切だと思ったので、「監督と直接お話がしたいです!」とお願いしてオフィスに直接訪問もしました。そこで岡本監督と初めてお会いし、いろんなお話をさせてもらったあと、採用していただくことが決まったのです。
国の代表チームの通訳ということで、大きな責任を感じました。決して簡単な仕事ではないと分かっていたし、監督の期待にもこたえなきゃというプレッシャーもあったんです。でもそれ以上に「自分がどこまでやれるのか」という未知の世界への挑戦にワクワクしていました。
ナショナルチームは岡本監督と23人の選手たちで構成されています。選手たちはとても個性豊かで強みも特徴もバラバラですが、チーム全体として安定感があり、お互いのコミュニケーションもよくとれていると思います。とてもいいチームです。
通訳者として常にチームの「まんなかのポジション」をキープすることを心がけています。たとえば岡本監督と選手が個人面談をするとき私も同席するのですが、そこでは一歩引いた目線で中立な立場から、両者をバランスよく仲介することが求められます。
選手たちと仲良くなりすぎないようにも気をつけています。もし特定の選手と仲良くなってしまうと、公平性が保てなくなってしまうリスクがあるからです。あくまでどの選手に対しても平等に接し、一人ひとりの性格にあわせてコミュニケーションをとるようにしています。
選手は私より年上の方が多く、経験値が豊富でいろんなことを教えてくれますよ。
岡本監督はとても優しくて、お互いにとてもいい信頼関係が築けていると感じています。私の通訳としての役割は岡本監督とタイ人選手たちのコミュニケーションを言葉で円滑にすること。それに加えて、文化や考え方のギャップを埋めるサポートもさせてもらっています。
たとえば日本では当たり前のような注意喚起の言葉でも、タイ人選手からすると「厳しすぎる」とダメージを受けてしまうことがあるんです。そんなときは、監督の言葉のニュアンスは変えずに、タイ人選手にとってより伝わりやすい表現にするなど気をつけています。
両者が感情的になっている会話を仲介して通訳するときは、なかなか難しいですね。それぞれが感情的になっているので「ミンクちゃん、なんで私の言いたいことが相手に伝わってないの?」「あなたどっちの味方なのよ!」など、怒りの矛先が私に向くこともあります。
あくまでコミュニケーションを円滑にするのが私の役目なので、そういうときは言葉を直訳するのではなく、あえて少しマイルドにして伝えるようにしています。
ひとつめは守秘義務の徹底です。たとえば監督と選手の個人面談で聞いた話はとてもプライベートな内容なので、あたりまえですが情報を漏らしてはいけません。
あとは「自分の主観をいれないこと」ですね。もしも「それは違うんじゃないか」といった個人的な感情が入り混じってしまうと、公平に通訳ができなくなってしまうので。感情をコントロールし、常に心をフラットな状態にキープするよう努めています。
岡本監督が「ミンクちゃんがタイと日本の両方の視点をもってサポートしてくれるから助かるよ」と言ってくださることがあり、そのときは「頼りにしてくださってる」とうれしくてやりがいを感じますね。
あとは、自分が「新しい可能性に挑戦できている」と感じられるときです。私、難しい仕事が好きなんだと思います。通訳の仕事はとてもたいへんですが、自分の限界にチャレンジしてそれを乗り越えたとき、大きくステップアップできるし、新しい自分に出会えたその瞬間が、私の人生にとっての大きな喜びです。
はい、今年9月に予選ラウンド試合に参加するため、2週間半ほど中東ヨルダンとパレスチナに遠征に行きました。コロナ禍の海外遠征ということで準備が通常よりもたいへんで、本番の試合ではいつもと立ち回り方やルールが異なるため本当に緊張しました。
でも初めての経験にワクワクして、とっても楽しかったです。予選ラウンドではパレスチナとマレーシアの両試合とも無事に勝利することができました! 来年1月にはインド遠征を控えているので、みんなで気合を入れて日々練習に励んでいます。
日本で働いてみたいですね。サッカー関連の仕事に就けるとうれしいですが、マーケティングの仕事にも興味があります。それか、大学院にいってMBAを取得するという選択肢も考えています。働くことが大好きなので、一生何かに没頭し続けていたいですね。
通訳としての勉強に終わりはありません。世の中の情勢は常に変化しているし、新しい言葉もどんどん生まれています。その変化に対応するために、私は休みの日もニュースを欠かさずチェックし、知らない言葉を学び、新しい情報にアンテナを張って生活することを心がけています。
自分が知らないことに好奇心をもって日々学び続けること。これが通訳にとってすごく大切なことだと思います。皆さんの夢を応援しています!
屈託のないキラキラした笑顔が印象的なミンクさん。休日はカフェめぐりや旅行を楽しんでいるという今どきの女性ですが、ひたむきな努力家で、その内に秘められた向上心やプロ意識には圧倒させられました。つねに現状に満足せず、自らチャンスをつかんで飛躍し続け、世界を舞台に活躍される姿がまぶしいです。インタビュー時には、親しみやすいお人柄や底抜けの明るさにふれ、「愛される方なんだなぁ」と感じました。ミンクさんの今後の動向にも目が離せません。