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「ムエタイ界のチャンピオンになる」という夢を追いかけて、単身でタイに渡りムエタイ修行に励んでいる、現役プロ選手の上野優翔(ゆうと)さん(19)。コロナ禍で長期間試合ができないという過酷な状況のなか、どんな生活を送っていたのでしょうか。
タイ行きを決意するまでの経緯や、ムエタイ選手の知られざる日常生活、いつも応援してくれるお母さまへの想いなど、優翔さんの素顔に迫ります。
横須賀市出身の優翔です。タイに来たのは2019年6月で、3年弱経ちますね。
僕は今、バンコクの東隣サムットプラカーン県にある、『ヌンポンテープ(nump pon thep)』 というムエタイジムに所属しています。このジムは元々バンコク都心にあったんですけど、コロナ禍で経営状況が厳しくなって、1年ほど前に移転したんです。
僕が来たばかりの頃は、20人くらいの選手が在籍していたんですが、コロナ禍でだいぶ辞めてしまいました。今は僕を含めて選手が5人、トレーナーが1人、先生が1人です。
ジムのすぐ後ろにある建物、実は寮なんです。そこに住んでいます。寮のドアを開けて数歩でジムなので、いつでもトレーニングができて便利です (笑)。男ばかりでむさくるしい環境だけど、みんな良い人で毎日楽しいですよ。
ありがとうございます! 2020年の年末からコロナでずっと試合ができていなかったので、1年ぶりの出場で勝つことができて本当に嬉しかったです。
もともとのきっかけは、小学1年生のときに始めたキックボクシングです。母がK-1とかの格闘技観戦が好きで、僕もその影響を受けてキックボクシングのジムに入りました。そこからハマって、小学6年間は没頭しましたね。
リングで戦う先輩の姿はすごくカッコよくて、「あんなふうに強くなりたい」と憧れました。その頃に「キックボクシングで世界チャンピオンになりたい」という夢が芽生えたんです。
中学2年のとき、所属していたキックボクシングジムがなくなっちゃって、そのタイミングでなんとなく、ムエタイを始めたんです。そしたらまたこれが楽しくて、どんどんのめり込んでいきました。
キックボクシングは、ムエタイを元に日本で誕生した格闘技です。ムエタイはキックボクシングに比べて、ヒジでの攻撃や首相撲ができるなど、「使える技が多い」のが特徴ですね。ムエタイでは両方のヒジ・ヒザ・手・脚の8カ所を使って攻撃できます。
実は当時、「力をつけたい」と柔道部にも入っていて、ムエタイと柔道部の活動を両立していました。
学校の授業が終わったら、まずは柔道部の練習を2時間。そのあと電車で片道30分かけて横浜のムエタイジムに行き、2時間のトレーニングをこなしていました。帰宅したら大抵22時は過ぎていましたね。
いえ、まったく (笑)。勉強は全然できなくて、でも学校はすごく楽しかったです。僕、地元の友達が大好きなんで。
それは一度もなかったです。トレーニングは楽しかったし、常に「ムエタイ界のチャンピオンになりたい」という野心でいっぱいでした。
それはけっこう前ですね。小学校6年生のときに家族旅行で初めてタイに来て、ムエタイという競技もそのとき知りました。日本人オーナーが経営するムエタイジムにお邪魔して、少しだけタイ人とムエタイの練習をさせてもらったんです。
中学のときは夏休みに、タイのムエタイ合宿にも何度か参加しました。タイのことはずっと頭にありましたね。
とにかく暑かったのと、現地で出会ったタイ人が優しくて「いい国だな」と思った記憶があります。「タイで本格的にムエタイをやりたい」という想いが膨らみましたね。
違いますね。本場のタイでは強豪選手が多いですし、朝や夜も練習ができるとかトレーニングに集中できる環境が整っています。日本にそういう場所はほとんどありません。
あと、「年齢制限の有無」も違います。日本だと16歳以上でないとプロにはなれません。でもタイは年齢制限がなくて、アマチュアとプロの境目が曖昧なんです。
はい。本気でムエタイの道を極めたくて、「中学を卒業したらタイにいこう」と思っていました。でも当時、担任の先生が地元の私立高校の推薦状を書いてくれで、地元の友達も大好きだったので、とりあえずその高校の進学を決めました。
実は僕、高校には3ヶ月しか行ってないんです。辞めちゃったんですよ。
高校を辞めたのが2018年の6月末でした。なーんもやることがなくなって、真っ先に思い浮かんだのは、やっぱりタイのこと。もともと迷っていた進路だったし、母の「タイに行ってみたら?」という言葉にも背中を押してもらい、2カ月後にはタイに行く意思を固めました。
翌年の2019年6月にタイに渡ったんですが、それまではジムに通いながら働いてお金を貯めて、ビザなどの準備を進めていました。
家の解体をする仕事です。
朝5時半に起きて、電車で横浜の現場に行って、夕方に仕事が終わったら帰宅してシャワーを浴びて、ムエタイジムで3時間トレーニングする……。そんな感じの生活でしたね。
ネットで探しつつ、現地の下見にも行きましたよ。タイに住む友人の家に泊まらせてもらいながら、ジムや語学学校を見学しました。
ジムは、中学時代のタイ合宿で訪れて印象がよかったジム(現在所属しているジム)に決めました。
選手仲間との寮生活です。一部屋に3~4人がふりわけられて、トイレやシャワーなどはすべて共同。だだっ広い部屋には、いつも布団が敷きっぱなしでした。とにかく汚かったです(笑)。選手の平均年齢は、僕と同年代の18~21歳くらいが多かったかな。
朝は6時~6時半に起きてランニング。それからムエタイの練習をします。10時頃にみんなで集まって朝食を食べ、そこからは自由時間でたいてい昼寝。
16時から午後の練習が始まって、18時半くらいに終了し、そのあと夕食って感じの流れです。
はい。当時はよく男性トレーナーが料理してくれました。僕のジムにはイサーン地方(タイ東北部)の出身者が多くて、食事もイサーン料理が多いです。正直、最初はキツかったですね。魚は生臭いし、なに食べても辛いし、お腹をくだしちゃうし…
でも力をつけるために食べるしかないので(笑)。少しずつ独特の味付けにも慣れて、今はだいぶ平気になりました。
タイに来て最初の1年は、バンコクのタイ語学校に通っていました。英語でタイ語を学ぶんですけど、当初は両方できなくて苦労しましたね。トレーニングとの両立で時間がなくて、ご飯が食べられなかったり、疲労で授業中は眠くなってしまったり、めっちゃきつかったです。
ただ僕のタイ語力は、タイ語学校で伸びたというより、ジムや寮でタイ人と過ごすうちに自然と身に付いていった気がします。今ではなんとか日常会話レベルのタイ語は話せるようになりました。
タイ人と付き合うなかで、言葉や文化の壁を感じることはあるけど、同じ志をもつ彼らと過ごす日々は青春ですね。
ムエタイではパンチやキック、肘打ち、膝蹴りなどの危険な技が多くて、ケガをすることもあります。僕もトレーニング中に、手の骨にヒビがはいった経験があります。
基本給はなくて、試合に出場するたびにファイトマネーをもらいます。今の僕のファイトマネーは、試合1回につき大体1万バーツ(約34,300円)ちょっとくらいですね。
はい。あと、タイでムエタイは公営ギャンブルなので、ギャンブラーからチップをもらえることもあります。僕はまだ経験ないですが。
大金を賭けた選手が負けそうになると、ギャンブラーが試合の最中に「勝ったらあとで〇〇バーツをやるから、もっとがんばれ!」と選手を鼓舞して、逆転勝利すれば選手たちにお金を渡すんです。
合法です。「"〇〇選手が逆転勝利したら〇〇万バーツ" の声が入りました~!」みたいなアナウンスがかかったりもしますよ。もちろんこのチップは勝たないともらえませんけど、数十万バーツとかの大金だったりするので、選手たちにとっては大きな収入になります。そのお金の数%は手数料としてジムに入り、残りは選手のポケットマネーです。
最近はコロナ禍で無観客状態になってしまったので、オンラインで賭けができるようになっているみたいです。
はい。ムエタイドリームを夢みてムエタイの世界に入ってくる選手は、けっこう多いと思います。僕のまわりでも、貧しい家庭や田舎の出身者がわりといます。
聞いた話だと、裕福なタイ人家庭では子どもにサッカーを習わせる親が多いらしいです。サッカーってお金かかるじゃないですか。でもムエタイを始めるのに必要なものって、ムエタイパンツくらいでほとんどないんですよ。グローブもジムに置いてあるし。
そのぶん、「貧困層から成りあがりたい」「家計を助けたい」という野心をもったガッツがある選手が多い気がします。
タイって格差社会じゃないですか。「ムエタイは貧困家庭のスポーツ」とみなされる時期が長かったし、公営ギャンブルってのも影響しているかもしれないですね。
ただ最近では、タイの文化としてムエタイが海外で高く評価されつつあります。その流れを受けて、タイ国内でも純粋なスポーツとしての認知が見直されてきているようです。
2020年2月に行われた「MBKスタジアム」のタイトルマッチで優勝しました。決して大きな大会ではないけど、人生で初めてチャンピオンとしてベルトをもらって、本当に嬉しかったです。
本番2、3日前はハードなトレーニングは控えて、簡単な練習のみにしています。試合直前にバンテージを巻いてもらうときのワクワク感はたまらないですね。
2020年春です。ロックダウンでジムが閉鎖されて、僕たち選手も部屋から出られなくなっちゃって。なにもできないので、ひたすらスマホをいじったりゴロゴロしたりしていました。ジムの会長がコロナ疾患したときは大騒ぎで、みんなで怯えましたね。
仲の良い選手たちが次々と地元や母国に帰ってしまって、すごく寂しかったし、つまらなかった。トレーニングができないので体もどんどん鈍っていくので、毎日「練習がしたい!試合がしたい!」という葛藤と戦っていました。
2020年6月頃にようやくジムが開いて、8月から試合も再開されたんです。でも、通常の練習ができるようになっても、戻ってくる選手は少なかったです。みんなそのまま辞めちゃったんですよ。兵隊になった子もいます。コロナ前は同年代の仲間がたくさんいたのに、気付けば僕が最年少になっていました。
ゼロです(笑)。収入がないので母の仕送りでなんとか生活していました。かなり厳しい節約生活だったので、精神的にも経済的にもキツかったですね。とにかくスタジアムの試合の空気が恋しくて、自分がどれだけムエタイを好きなのか改めて実感しました。
時間を無駄にしたくなかったので、体が鈍らない程度にトレーニングをしていました。
まさかコロナがここまで長引くなんて思ってなかったし、試合ができない状態が1年も続いてずっとしんどかったです。
仲間が多かったコロナ前の方が楽しかったけど、ムエタイへの情熱は変わっていません。「ムエタイ界のチャンピオンになる」という夢は揺らいでないですし、自分がどれだけムエタイが好きか再認識するきっかけにもなりました。
タイ人選手は幼少期から何百戦も試合を経験している子が多くて、経験値のレベルがまったく違うので、そこは大きい差だと感じます。
みんな本当に優しいです。良き仲間、良きライバルとしてリスペクトしあってるし、彼らとバカ騒ぎする時間もめちゃくちゃ楽しいです。喧嘩もめったにしないし、人間関係のストレスはほぼゼロですね。最高の仲間に出会えて幸せです。
あと、みんな適当な性格なので、気を遣わなくていいのが楽チンですね。試合の集合時間に遅刻、みたいなことは日常茶飯事ですけど (笑)。
タイに来たことを後悔したことは一度もないですが、家族や地元の友達が恋しくなって「日本に帰りたい」と思うことはありますね。いつも日本食に飢えてますし(笑)。
バンコクで買い物をしたり、友達と遊んだりすることが多いです。良いリフレッシュになるので、とても大切な時間です。
タイでいろんな経験をさせてもらって、少しは成長できたのかな、と感じています。
正直コロナは想定外だったし、大変なことも多かったけど、周囲の環境やサポートに改めて感謝をするきっかけにもなりました。
女手ひとりで育ててくれ、いつも優しく応援してくれる母には、早く恩返しがしたいです。もっと強い選手に成長して活躍することが最大の親孝行だと思っているので、もう少し待っていてほしいです。
今の最大の目標は、2~3年以内にムエタイ界でトップになること。アジア圏で一番大きな大会である「ONE Championship(ワンチャンピオンシップ)」でチャンピオンになりたいんです。
この大会に出場できるのは強豪選手だけ。ムエタイ界で強い選手として認知されれば、「出場しませんか?」と声がかかるんだそうです。その出場権を得るためには、これから実力と実績を積み重ねなければいけません。
ムエタイは大好きですが、体を酷使する仕事なので、長く続けるつもりはありません。現役を引退したら、将来的には自分のジムを開いたり、トレーナーとして若い選手を育てたり、そんな挑戦がしてみたいですね。
いつも応援してくれる皆さん、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
せっかくタイで挑戦するチャンスをもらえて、甘えてられないし、逃げてられない。悔いがないように、残された時間を精一杯駆け抜けていきます。みなさんの応援を励みに自分を信じて頑張りますので、ぜひ今後とも応援をよろしくお願いします!
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・優翔さんが所属するムエタイジム 『ヌンポンテープ(nump pon thep)』
◇インタビューを終えて 照れながらも、真っ直ぐな瞳で一つひとつの質問に答えてくれた優翔さん。くしゃっとしたあどけない笑顔が印象的ですが、リングに立つとその表情は一変、鍛えられた肉体で荒々しく戦う姿に圧倒されました。夢に向かってひたむきに走り続ける優翔さんの生き様は、多くの人に感動と勇気を与えることでしょう。お母さまへの感謝のメッセージにも感動しました。今後のご活躍も心から応援しています!