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フェルガナ盆地の旅では、マルギランとリシタンという2大伝統工芸品の生産地を訪れました。まずはシルクの町マルギランから。
古代からさまざまな民族が行き交ってきたフェルガナ盆地きっての古都マルギランは、かつてシルクロード交易の要塞として栄え、当時からシルクの生産地として有名だったとのこと。伝統工芸文化が下火になってしまったソ連時代を乗り越え、今も町の織物工房で職人たちがシルク製品を作っています。
そのなかでも特に有名で規模も大きい工房が、ヨドゥゴルリク・シルク工場。平日に行くと職人たちの作業している風景を見学できるとのことですが、あいにくこの日は日曜日。けれど工場に入るとさっそくいかにも職人らしいシブいおじさんが出迎えてくれ、私たちを案内してくれました。大人の社会見学のスタートです。
まずはシルクの原料となる、蚕(かいこ)の繭(まゆ)を見せてくれました。繭の繊維密度によってシルクの仕上がりもまったく異なるそうで、値段が3倍ぐらい違うこともあるとのこと。
それにしても職人がいない工房って、なんだか神々しくて素敵ですね…!
この工房では、マルギラン特有の絣模様の布生地がいくつも垂れかかっていました。この布生地は絹100%のものがアトラス、絹50%・綿50%のものがアドラスと呼ばれ、どちらもウズベキスタンが誇る特産品。この一度見たら忘れられないような特徴的な絣模様ですが、ウズベキスタンの各地域によって模様が異なるのです。やはりマルギランアトラス・マルギランアドラスは国内で最も有名な生地のひとつとのこと。
こちらは生地の染色を行う部屋にあった染色材料。自然の材料を使って染色するときは、ザクロやクルミ、玉ねぎの皮を用いるそうです。何となく渋い色合いになりそうな感じ。
そしてこちらが化学染料を使う部屋ですが、何と古カッコイイ工房でしょう。日本だったらそのまま博物館の一部になっていそうですね。
このヨドゥゴルリク・シルク工場はソ連時代の1972年、つまり50年も前に設立されたとのこと。当時から使われてきた部屋や仕事道具もあるのでしょう。50年という時の重みを感じます。
ここで絨毯も生産しているとのことで、絨毯工房も見学させてもらいました。写真右側の絨毯を作るのに費やす期間はなんと8ヵ月、そして値段は1700ドル。左側の絨毯はイスタンブールの風景が浮かび上がっているもので、こちらの値段は1400ドルとのこと。
そして圧巻だったのが、機織り機がずらりと並んだこちらの工房。ここでは昔ながらの手作業で生地が織られていることを改めて実感します。平日はこの部屋が職人さんで埋め尽くされ、機織り機が絶えることなく音を立てていることでしょう。
コロナ禍で職人さんの数がかなり減ってしまったらしいのですが、それでもこの工場全体で働く職人さんは200~300人とのこと。職人さんは全員マルギラン出身とのことで、マルギランのシルク産業と雇用を支えるという上で、この工場はこの町で計り知れない役割を担っているようでした。昼食や交通費は支給だそうで、福利厚生はバッチリです。
工場に入るとすぐに師匠がつき、実際に織りながら教わって腕を上げていく、日本でいうOJTスタイル。師匠が弟子に織り方を教え、昔ながらの織物技術が脈々と受け継がれていくのは、この町では何百年も前から当たり前のことだったのかもしれません。
最後に工場の直営店へ。店に入った瞬間目に飛び込んでくる、色彩豊かな商品の数々! 布生地は上着やスカーフ、かばん、座布団などに加工され、センス抜群のお土産に仕上がっています。
そしてシブい職人さんという印象だった案内人のおじさんは一転やる気満々の営業マンに。棚からありとあらゆる商品を見せて奨めてきます。といっても押し売り感は全然ありませんが。
私たちが一目ぼれして購入したのは、この大きくてかわいいパッチワーク生地。布団カバー用の生地ですが、日本に持って帰ればこたつ布団カバーとしても使えそうです。
友達や家族の分もどう?と、職人おじさん改めやる気満々営業おじさん。タシケントで買うより断然安いので今のうちに爆買いしておこうか悩みましたが、大量の荷物になるのでまた次来たときに。
もともと外国人観光客が多く訪れていたこの工場でしたが、やはり昨今はほぼ訪問者が来ないようで、ちょっと寂しそうなおじさんでした。コロナ禍の収束後は、また再び多くの旅行者でにぎわうことを願っています。