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ロンドン・サウスケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館(以下V&A)で開催中の、ビアトリクス・ポター展「Drawn to Nature」。
たとえピーターラビット絵本のファンでなくとも、19世紀の典型的中流家庭での生い立ち、絵画や自然科学を探求した少女時代、そして絵本作家として成功後に後半生を捧げた湖水地方の自然保護・・・という人生を送った1人の女性について、多くを学べる展示内容になっています。
さて私自身は?というと、昔からピーターラビットたちの大ファン!絵本シリーズを大切に持っているばかりか、彼女が住んでいた湖水地方の家「ヒルトップ」にも2度ほど訪問したことがあります。
だからビアトリクス・ポターについて結構いろんな知識があると思っていたのですが、まだ知らなかったこと&初めて見た物もたくさんあったんですよ!
その1つがこの赤いハンカチで、ビアトリクスの私物。
なんとこのハンカチ、ピーターラビットが手にしているハンカチだったんですよー♪
ねっ、絵の中のハンカチも同じデザインでしょう?柔らかいパステル色調で描かれていて本物のビビッドな赤とは違うものの、彼女が登場人物の衣類・小物・背景にいたるまで、つぶさに観察しながら描いた証拠と言えます。
この2着の服はビアトリクス一家ではなく、V&A美術館の所蔵品。しかし彼女の家はここから歩いて行ける距離にあったため足しげく通っていたそうで、こんな絵のモチーフに使われています。↓
「グロスターの仕立て屋」で大活躍する、かわいらしいネズミたち。その背後や足元に、すてきな刺繍が見えますよね?
それが、この上着とジレの刺繍。この美しさに惚れ込んだビアトリクスは、美術館の人に頼んでテーブルに広げてもらってスケッチしたのだそうです。
彼女の絵本を出版した会社フレデリック・ウォーン社の一員ノーマン・ウォーンへの手紙で「18世紀の素晴らしい服を見つけたの!」と、1903年3月にも書き送ったビアトリクス。
「グロスターの仕立て屋」は彼女にとってもお気に入りの1冊だそうで、のちに婚約者となるノーマンとの幸せな交際期間に書いた本だったからかもしれませんね。
小さな封筒型(横10㎝くらい)ファイルのように見えるのは、ウォーン家の少女ルイに贈ったパノラマ型の絵本「ミス・モペットのおはなし」。ノーマンおよびウォーン家の人々と親交を深めていたことが分かります。
こちらは実際に出版された、パノラマ版「こわいわるいうさぎ」。これは幼い子供にはページをめくる本よりも読みやすいだろう、というビアトリクスの発案によるもの。
(しかし店頭に並べにくいという書店側の反応により、残念ながら継続しませんでした)
またノーマン・ウォーンからは、彼女の趣味だったドールズハウス用の小物をプレゼントされています。
しかしノーマンは婚約後まもなく、白血病で急逝してしまうのです。
深い悲しみに暮れたビアトリクスでしたが、やがて湖水地方に買った農家での生活に癒しを得るようになり、両親と暮らすロンドンと湖水地方をひんぱんに往復するようになります。
そして湖水地方の自然や伝統的な農法の保存に関心を深めていくのですが、大きな転機は47歳のとき。地元の弁護士ウィリアム・ヒーリスと結婚したのを機にロンドンを完全に離れ、湖水地方に移住。
結婚後の実生活では、ヒーリス夫人と呼ばれることを好みました。
ビアトリクスは著作権ビジネスにも熱心に取り組み、さまざまなキャラクター商品を販売。絵本の印税やこれらの商品によって得た収入で、さらに土地や農場を買い取っていきました。
でも彼女のすごいところはただの農場主となったのではなく、雇った農夫たちと一緒に自ら畑や牧草地で実践していったこと。
とりわけハードウィック種という羊の品種を保存することに励み、品評会で優勝する羊を育てることも。その賞状の上に見えるのは、ヒーリスのイニシャル「H」の焼きゴテ2つ。当時は羊に所有者の印をつけるため、こういう物を使ったのです。
ビアトリクスが農場で履いていた革靴や、彼女の杖も展示されていますよ。
77歳で生涯を終えるまで、湖水地方での暮らしを心から慈しんだビアトリクス。産業革命後の乱開発で美しい自然が失われることに危機感を抱き、景観保護運動ナショナル・トラストに共感していったのもうなずけます。
遺言によって広大な土地と農場、作品群のほとんどを夫ウィリアムの死後、ナショナルトラストおよびV&A美術館に寄贈したビアトリクス。私たちが今も湖水地方の自然美を愛でられるのは、この偉大な女性によるといっても過言ではありません。
世界中で愛されるピーターラビットを生み出した彼女の、すばらしい軌跡を辿ってみませんか?!
〈当記事に掲載した写真は、ヴィクトリア&アルバート美術館ご担当者からの了承を得て撮影・使用しております〉