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ワシントンDC観光の中心地、ナショナルモールにはスミソニアン博物館群のほか、さまざまなメモリアル(記念碑)があります。2021年は太平洋戦争開戦から80年。当時アメリカに住んでいた日系人の運命の歴史をたどり、全米日系アメリカ人記念碑(National Japanese American Memorial)を訪れます。
ワシントンDCの観光の中心地は、言わずと知れたナショナルモールNational Mallです。東は連邦議事堂を起点に人気の高い航空宇宙博物館、自然史博物館、アメリカ歴史博物館をはじめとするスミソニアン協会の博物館が建ち並び、ワシントン記念塔のオベリスクを超えた西側には、第二次世界大戦記念碑、ベトナム戦争、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、リンカーン記念堂などのさまざまなメモリアルがあります。
ナショナルモールの一角にある国立美術館(ナショナル・ギャラリー)の北側のコンスティテューション・アベニューから、ルイジアナ・アベニューをユニオン駅方面に向かう途中に、小さな三角地点の公園があります。ユニオン駅からも徒歩10分足らずで行けます。
ここが、日系アメリカ人記念碑National Japanese American Memorialです。太平洋戦争中に強制収容された日系人や、アメリカ軍に従軍し戦死した日系人の追悼メモリアルとして2001年に完成しました。有名なベトナム戦争慰霊碑や朝鮮戦争慰霊碑と同じく、ナショナル・パーク・サービス(国立公園局)が管理しています。
〈日系人の強制収容とは〉
1941年12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争の日米開戦となったことを受けて、当時の大統領令によって、1942年~1945年までアメリカに住んでいた10万人以上の日本人移民および日系アメリカ人が財産を没収され、米国内陸部の荒野などに建てられた強制収容所に収容された。
・こちらも参照ください〈NHK解説アーカイブス2019年8月14日付〉:https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/405330.html
メモリアル内は、枯山水風の人工池(※池に水が流れているときもありますが、取材時に水はありませんでした)が配され、二羽の鶴の彫刻の周囲には強制収容所の名前と収容人数が刻まれた大きな石壁が囲んでいます。二羽の鶴の像は有刺鉄線が羽に絡まっている姿をしています。
1988年にレーガン大統領(当時)が署名した市民自由法案Civil Liberties Actで、公式に連邦政府が収容された日系人に対し謝罪しました。「過去の過ちを認める」と、署名時の大統領の声明が人工池の淵に刻まれています。
また、ノーマン・ミネタ下院議員、マイク・マサオカ公民権運動家、ロバート・マツイ下院議員らの碑文もあり、「二度と起きてはならぬ教訓として未来に残す」メモリアルであることがつづられています。
大戦中こうした逆境にありながらアメリカ軍に従軍し、戦死した多くの日系人兵士の碑銘も、ベトナム戦争慰霊碑の形式と同様に石壁に刻まれています。
ベトナム戦争慰霊碑はいつも大勢の人でにぎわっていますが、日系人記念碑はオフィスビルの一角にあり、ナショナルモールのメインからやや外れたロケーションであるためか、訪れる観光客は日中でもあまり多くはありません。しかし、この小さなメモリアルが語る「歴史」の重さは雄弁です。ぜひ訪ねてほしいスポットのひとつです。