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アメリカのデパートで広く名前が知られているのは、感謝祭パレードで有名なメイシーズ(Macy's)がありますが、ボルチモアにもかつて132年の歴史を誇り、"ボルチモアの文化発信"的な役割をしていた、ハツラーデパート(Hutzler's Department Store)がありました。創業地に今も残る、旧ハツラーデパートの現在の様子を見てきました。
ハツラーデパートは1858年にユダヤ系ドイツ人のハツラー親子が開業した乾物屋が起源で、ボルチモアの当時の中心地、ハワード通りHoward Streetにありました。20世紀初頭までには、ボルチモアの代表的な百貨店として繁栄を築いていきました。ハツラーの栄華を示す、象徴的な例の一つが、1888年に建てられた「パレス(宮殿)」と呼ばれた、ロマネスク建築(壁が厚く半円アーチの窓などの特徴)の大理石五階建て店舗があります。この建築物は米国内務省・公園局によって国家歴史登録材National Register of Historic Places(文化遺産) に登録されています。
1932年にはパレスの隣に幾何学や曲線を基調としたアールデコ調のビルが増築され、ボルチモア初のエスカレーターが設置されるなど、ハツラーはボルチモアの顔として繁栄のピークを迎え、"買い物するならハツラーへ行く"とまで言われていたそうです。当時のハワード通りはボルチモアで一番のショッピング街でもありました。1930年代~1950年代頃までは多くの女性たちが帽子と手袋を着用し、路面電車に乗ってハツラーデパート内のレストランやカフェテラスへ出掛けていたそうです。当時、ハツラーデパートはボルチモア市内、郊外を中心に、メリーランド州内に最大時には10店舗を構えていました。
1960年代ごろから80年代にかけて、ボルチモア市内から郊外へ移転する人々や企業が相次ぎ、町の景観や治安も大きく変容していきました。130年を超える歴史を誇り、高品質の商品を売りにしていたハツラーデパートの経営も、拡張路線の失敗などの影響もあり1980年代後半には悪化に傾き、1990年初めに全店舗閉鎖、会社も閉業となってしまいました。
ハツラーデパートの閉店から既に30年を経過していますが、市当局も港側(インナーハーバー)の開発に注力してきた経緯で、デパートの建物は現在も解体されることなくそのまま残され、同じブロックの商業施設もほとんどが閉鎖されております。ダウンタウンの真ん中にあり、かつての一等地であった一角がまるでゴーストタウンのようになっていました。跡地を利用した再開発の目途はいまだ立っていないようです。