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以前の特派員ブログ でボルチモア郊外唯一の屋根付き橋(Covered Bridge)を紹介しましたが、隣接するジェルサレム・ミル歴史村Historic Jerusalem Mill Villageで週末のみ一般公開されている博物館や生活実演を見学してきました。18世紀から19世紀にかけての地域の暮らしぶりを一部実演付きで見学できる施設で、当時の建物も多く保存されており、庶民の生活史を学ぶことができます。
(以下の写真はすべて撮影・掲載許可済)
Jerusalemと聞いて「あれ?」と感じたでしょうか。アメリカの古い土地名の由来には主に3つのタイプがあります。ひとつはネイティブ・アメリカンが生活していた頃からの名称(あるいは当地に暮らしていた部族の言葉などにも由来。パタプスコ川、コノウィンゴなど)、ふたつ目はヨーロッパからの移民たちが自分たちの出身地にちなんで名付けたもの(ハノーバー、ロンドン、ヨークなど)、そして3つめは聖書から採られた名称です。Jerusalemは現在のイスラエルの首都名でありますが、メリーランド州のジェルサレムという地名は17世紀後半には聖書に由来する名称として定着していました。
ジェルサレム歴史村に話は戻り、まずは1772年建造の旧商業製粉場の赤い小屋を覗いてみます。ここはガンパウダー・フォールズ州立公園のビジターセンター兼歴史村の博物館として公開されており、地下にはかつて水車の力で石臼を動かし、1961年まで小麦粉の製粉事業をしていた跡や、18~19世紀の生活用品、鉄製品(敷地内の鍛冶場での実演で作られたレプリカもある)などが数多く展示されています。
地下の水車自体は現在既に撤去されていますが、壁画のイラストで往時の動線や大きさがわかるようになっています。
製粉場の大きな納屋の裏にあるミラー・ハウス(Miller's House)と呼ばれる小さな石造りの家では、18世紀の服装に身を包んだボランティアの方々が、当時の庶民の台所仕事の様子を実演してくれます。【※実演は土日の午後1時~4時】
服装の上着の合わせの部分が小さな虫ピンで止めてあるので尋ねてみると、18世紀当時のアメリカでは、ボタン付きの服は有力者や上流階級の人々に限られており、庶民の服にはボタンが無かったそうです。以前、ペンシルバニア州のランカスターにある、アーミッシュの博物館を訪ねたときも、アーミッシュの人々の服はアメリカ移民当時の18世紀の生活様式を守り続けているためボタンやジッパーが無く、ピンを使っていたことを思い出し、18世紀の世界が少し感じられると同時に、実演の人々が細部までこだわって再現していることが印象的でした。
アメリカのジェネラル・ストアとは、かつて町にひとつはあった小さな雑貨店(よろず屋)で、歴史村の一角にも1830年代に建てられ、1939年まで営業していた店の建物も、内部が公開されています。ショーケースをそのまま生かしつつ当時の生活用品が雑多と並べられた店内はそれだけでもタイムスリップした気分になれます。
この店では南北戦争の最中であった1864年7月11日に、南軍のギルモア少佐騎兵連隊一行による襲撃事件が起こり、物資や馬などの強奪があった場所として記録されています。
そんな歴史的背景のためか、南北戦争時代の家具や調度品が並んだ一室があり、小さなテーブルの上に兵士たちがつかの間の余暇を楽しむために使った布製のチェスボードと、トウモロコシの芯をスライスした駒が再現されていました。
歴史村にある建物はこれまで地元の努力で様々な歴史的建物の修復工事が行われ再公開にいたっておりますが、1803年建築の大きな納屋(Barn)は現在も石造りの外壁のみが残っている状態です。これは1961年に放火に遭ったためだそうです。現在地元の有志による修復・再建作業が続いています。