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86. 「青の都」「東方の真珠」私が住むウズベキスタン・サマルカンドはどんな都市?

伊藤 卓巳

伊藤 卓巳

ウズベキスタン特派員

更新日
2023年1月14日
公開日
2023年1月14日
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サローム(こんにちは)!

JICA青年海外協力隊の観光隊員としてサマルカンドで暮らし始めてから、累計4か月ほどになりました。日本から旅行にいらっしゃる皆さんのために、これから観光地情報やおすすめグルメ情報をどんどん更新していく予定ですが、まずはサマルカンドはどんな町か、どのような歴史があるのかをご紹介しましょう。

「サマルカンド─文化交差路」という名称で世界遺産にも登録されているサマルカンドという町はウズベキスタン屈指の観光都市で、私たちがウズベキスタンと聞いてイメージするような荘厳なブルーのイスラム建築がいくつもそびえたっています。この国には他にもブハラやヒヴァといった世界遺産の古都がありますが、やはりウズベキスタン旅行といえばこのサマルカンドを抜きにしては成り立ちません。「青の都」「東方の真珠」「イスラム世界の宝石」などこの町を称える異名はいくつもありますが、実際に来て観光してみると納得することでしょう。

夕焼けに映えるレギスタン広場の青のドーム

この美しい町はどのような歴史をたどってきたのでしょうか? 2007年にサマルカンドであるイベントが催されましたが、そのイベントとは「建都2750年記念祭」。どうしてこんなに正確に年号を割り出せたのか…という疑問はさておき、なんと紀元前8世紀から町があったということになります。マーワラーアンナフル(中央アジア南部の古い呼び名で「川の向こうの地」の意味)の中心にあるこの町は、ザラフシャン川が流れる豊かなオアシス都市として古代から繁栄し、アレキサンダー大王や玄奘といった歴史的偉人が立ち寄っていました。

のちにシルクロードと呼ばれることになる、この地域を通る交易の道が発展してくると、ペルシャ系のソグド人という民族が商人として活躍するようになります。彼らは遠く中国へまで顔を出し、ユーラシア大陸を股にかける交易ルートを構築しました。逆にソグド人の土地を意味するこの地域の呼称、ソグディアナへも多くの民族が訪れ、サマルカンドの町もさらなる繁栄を遂げました。市内にあるアフラシャブ博物館で見ることができる7世紀の大壁画は、この時代のにぎわいを現代へ伝えてくれる貴重な資料です。

中国や朝鮮からの使者たちも描かれている7世紀の大壁画

ゾロアスター教などを信仰していたソグド人ですが、8世紀になると中東からこの地に進出してきたイスラム勢力に追われ、この地域の主役の座を彼らを譲ることになります。サーマーン朝、カラハン朝というイスラム王朝の支配を受けたサマルカンドの町が大きく変わってしまったのが1220年。かのモンゴル軍の攻撃を受け、町が徹底的に破壊されてしまったのです。サマルカンド中心部から北東に行くとアフラシャブの丘という広大な丘がありますが、ここがモンゴル軍襲来以前の町の遺跡です。

時折放牧された羊や羊飼いに出くわす以外は静寂に包まれているアフラシャブの丘

その後この町を見事によみがえらせたのが英雄ティムール。1336年に現在のシャフリサーブス近郊の村で生まれたティムールは、軍事的才能により瞬く間に大帝国を築き上げ、サマルカンドはそのティムール帝国の首都として復興。帝国各地の建築家や職人たちをこの町に集め、壮大なイスラム建築をいくつも築きました。「チンギスハーンは破壊し、ティムールは建設した」という有名なフレーズは言い得て妙ですね。
サマルカンド観光の際にはほぼ必ず立ち寄ることになるであろう、ビビハニム・モスクやシャーヒズィンダ廟群、グル・アミール廟といった建築物は、ティムールゆかりの貴重な遺産です。

玉座に座っているティムール像
ティムールの亡骸が葬られたグル・アミール廟

その後ティムール帝国の勢力は衰え、シャイバニ朝やブハラ・ハン国などの支配を受けた後19世紀にはこの地に進出してきたロシアの支配下に。ロシア帝国、ソビエト連邦のもとで町が現代化されました。なお1925年から1930年の間には一時的にウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都になりましたが、それ以降はロシア支配後発展したタシケントに都の座を譲っています。

そして1991年の独立により新生ウズベキスタンの一都市となり、荒廃していた歴史建築も整備・修復され、現在世界中から多くの旅行者が訪れる有名観光都市となっています。ティムールが好んだ色といわれ、サマルカンドブルーとも呼ばれる鮮やかな青のタイルで彩られた建築物の数々が観光客を出迎えてくれます。

サマルカンドを代表する観光地レギスタン広場は、ティムールではなくその後の支配者によって建てられたもの
旅行者でにぎわうシャーヒズィンダ廟群。今年に入ってから一気に観光客が増加した印象です

現在のサマルカンドの町は、中世から続く入り組んだ路地の中にイスラム建築が建ち並ぶ旧市街と、ロシア支配時に築かれ重厚なヨーロッパ式建築が見られるロシア人街、そしてソ連時代や独立後に発展した新市街に分かれています。観光の中心になるのは旧市街で、ホテルも旧市街の中やその近隣に取るといいでしょう。首都タシケントから高速列車アフラシャブ号で2時間強の距離で、弾丸日程であればタシケントからの日帰りも可能ですが、できれば何泊も滞在してこの「青の都」を思う存分楽しむことをおすすめします。歴史建築だけでなく、シルクロード交易の面影が残るようなバザールやぜひお土産を買いたい伝統工芸の工房などなど、興味が尽きないスポットが無数にある町ですから…。

旧市街をぶらぶらさまよいあるくのも楽しい

前回の記事(85. 【ウズベキスタン特派員】新年のご挨拶&サマルカンドに引越しのお知らせ)でも紹介した通り、私はこの町にある観光案内所の日本人ボランティアスタッフとして活動しています。サマルカンドの観光に携わる者として、旅行者の皆さんがこの町のたくさんの魅力に触れ、思う存分満喫されることを願っています。
そんなサマルカンドの町をどう観光したらいいの? というわけで、次回の記事ではおすすめのモデルコースをご案内できればと思います。それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!

参考文献:
『地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々 2019~2020年版』ダイヤモンド社
帯谷知可編著『ウズベキスタンを知るための60章』明石書店

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