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サローム(こんにちは)!
レギスタン広場東側、シェルドル・メドレセの奥から延びる、お土産屋さんが建ち並ぶ歩行者天国がカリモフ通り(旧名タシケント通り)。この通りを北へ歩いていくと、左前方に大きな青いドームが見えてきます。さらに行くと、見る者を圧倒するような巨大なアーチが出現。これがティムールの残した巨大建築、当時イスラム世界最大級のモスクだったビビハニム・モスクです。
この正面アーチは、カリモフ通りをさらに行ったハズラティ・ヒズル・モスクのテラスや、シャーヒズィンダ廟群からもはっきりと見ることができます。
ビビハニムとはティムール最愛の妻の名が由来で、「第一婦人」や「一番のお姫様」の意味。つまりティムールは、このモスクに妻の名を付けたのです。お嫁さんの名が付いた後世まで残る壮大な建造物といえばタージマハルが有名ですが、その200年以上前にもウズベキスタンで建てられていたのですね。
なお、カリモフ通りを挟んだちょうど反対側には、ビビハニムのお墓であるビビハニム廟があります。
こんなに大きな、当時の王様しかもお妃の名を付けて建設した建築物となると、当然のことながらエピソードや伝説に事欠かしません。もっとも有名なのが下記の悲劇的な伝説。
ティムールがインド遠征から帰国する前にこのモスクが完成するようビビハニム妃が建設を急がせるもなかなか工事は進まなかった。そんな中、美男で有名だった優秀な建築家がビビハニムに恋い焦がれ、もしキスをさせてくれるならこのモスクを完成させてみせます、と告げる。ビビハニムは悩んだ挙句彼にキスを許したが、彼女の頬にはその跡が残ってしまう。凱旋帰国後その跡を発見したティムールは怒り狂い、建築家は処刑、ビビハニムはこのモスクのミナレットから投げ捨てられた(またはその美貌を他人に見られないよう、衣装黒いベールで顔を覆わなければいけなくなった)…というお話。
また、モスクの正面にビビハニムが大きなメドレセを建て、トルコ遠征後に帰ってきてそれを見たティムールが「なぜ私のモスクが妻のメドレセより小さいのか」と立腹。すでにモスクの建設はある程度進んでいたものの、それを壊してさらに大きくするよう増築した…という話も。
いずれも真偽のほどは定かではありませんが、ティムールが1399年にインド遠征から帰った後世界最大級のモスクを建設しようと決意、並々ならぬ熱量でモスクを造ろうとしていたことは確かなようです。建設には帝国各地から集められた200人以上の職人と500人以上の労働者、インドから連れてきた100頭近い象が投入されました。この建設の様子は、当時スペイン公使としてこの地にやって来たクラビホという人物も、自信の旅行記の中で記しています。
そしてわずか5年の歳月でこのビビハニムモスクが完成。ティムールはその1年後に死去します。しかしこの大規模な建築物をあまりの速さで造り上げたため完成後まもなく礼拝中の信者にれんがが落下する事故が頻発、地震の影響もあり崩壊が進んで廃墟のような状態に。そしてソ連時代の1974年に修復が始まり、現在の姿になりました。ただ現在もモスクとしては機能しておらず、史跡という扱いとなっています。
それでは高さ35mの入口アーチをくぐり、モスクの中庭に入ってみましょう。入口アーチにはアッラーの文字やコーランの一説をかたどったモザイクタイルが見られるので、ぜひチェックを。中庭も167m×109mというとてつもないスケールで、1万人以上の礼拝者を収容できたというエピソードも納得です。
中庭は東側の入口アーチのほか、西側にある鮮やかなブルーのドームを頂く高さ40mの大モスク、北側と南側にあるひだ状のドームで覆われた小モスクに囲まれています。この位置関係は、イスラム世界の天国を表しているとも、4つの季節を表しているともいわれているそうです。また中庭の4隅にはミナレット(塔)が立っています。
大モスク内部は、現在も崩落の危険があるとのことで立ち入り禁止。ただ格子窓から内部の様子をうかがうことができます。
小モスクは中に立ち入ることができます。内部ではお土産が売られているほか、美しい回廊に囲まれていたという完成当時のイラストや、モスク修復前の写真も飾られています。この写真を見ると、廃墟同然だったというビビハニムモスクの修復前の様子がよく分かることでしょう。まるでティムール帝国時代の栄華の象徴のようなこのモスクが元に近い姿を取り戻したとき、サマルカンド市民は歓喜に沸いたに違いありません。
またこちらも入口に格子窓がはめられていますが、北側の小モスクは晴れた日のお昼ごろ行くと、何とも映えるこんなシルエット写真も撮ることができます。
中庭の中央にあるのは、ラウヒと呼ばれる巨大な大理石でできた書見台。これはティムールが現在のイラクへ侵攻した際に持ち帰った、オスマン・クラーンという世界最古のコーランを置くための台。以前は雨ざらしの状況でしたが、現在はアクリルカバーで覆われています。この上に置かれている巨大なコーランはレプリカで、タシケントのハスティマム広場にあるコーラン博物館で原物のオスマン・クラーンを見ることができます。
このラウヒは霊験あらたかなもののようで、願い事を唱えながら3周すると願いが叶うとか、7周すると子供が出来るといった伝説があります。
大帝国を築きあげたティムールの強い力を、今でも見る者に誇示しているかのようなこのビビハニム。訪れた際はぜひ今から約600年前、彼が活躍していた時代に思いをはせてみてください。
それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!