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京都の紅葉処は、散り始めマークが増えて来ました。
嵯峨野・祇王寺の紅葉景色です。(12月12日撮影)
祇王寺は、嵐山から歩くこと約25分。
嵯峨野の奥に、こじんまりとした尼寺・祇王寺があります。
祇王寺は、行くたびにその狭さに驚きます。
祇王寺の晩秋風景は、色とりどりのモミジと竹林が織りなす深い紅葉景色が広がっています。
ここは、「悲恋に泣いた、白拍子・祇王ゆかりの草庵・祇王寺」とも言われ、平家物語に登場する白拍子(舞いを踊る人)の祇王・祇女・母・仏御前が念仏に専念した尼寺です。
見上げると、赤や黄色のモミジ、
そしてモミジの後方には、竹林が空へと伸びています。
遠い平安時代。嵯峨野のこの辺りは静寂そのものでした。
祇王寺から近いところに、化野念仏寺がありますが平安時代のこの辺りは風葬の地でした。
あまりの光景を見かねた空海は、化野念仏寺を建て無縁仏を埋葬したと言われています。
ここには長い時を超えて語られる もう一つの平家物語があります。
その物語は……
祇王は、白拍子(舞いを踊る人)として平清盛の寵愛と手厚い保護を受けていましたが、ある日、仏御前という新しい白拍子が現れると、平清盛は すっかり魅了されてしまいました。祇王は、心変わりした平清盛を見て、一句の歌を残して去って行きました。
「萌出るも枯るるも同じ 野辺の草 何れか秋にあはで果つべき」
祇王は嵯峨野のこの地で 妹の祇女・母とともに仏門生活に入りました。
時が過ぎたある日、この庵を訪ねて来た女性がいました。
それは祇王のあと、平清盛から寵愛を受けていた仏御前。
仏御前は祇王が書き残した歌を見て、この地へ訪ねて来たのでした。
そして、自らの非を詫びました。詫びた仏御前は、かぶっていた衣を取ると、
髪を落とした尼の姿でした。
祇王はその姿に心打たれ、仏御前を許し、妹の祇女・母、仏御前とともに、
この地で念仏一途の生活に入りました。
その時、祇王21歳、妹の祇女19歳、母45歳、仏御前は17歳だったそうです。
嵯峨野の奥は、自然の美しいところですが、
苔むした草庵で暮らすには あまりに若い年齢でした。
「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり沙羅雙樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」
祇王寺にある碑には「性如禅尼承安二年壬辰八月十五日寂」とあり、「性如禅尼」は
妓王のことを指すとされていて、承安2年8月15日(1172年)に死去したとされています。
祇王寺のモミジは黄色や赤色のモミジが綺麗です。見上げると天まで届くように竹林が伸びています。
祇王達が歩んだ日々を思う、祇王寺の紅葉でした。
祇王寺
〇所 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
〇アクセス JR嵯峨嵐山駅から徒歩約25分。京福電鉄嵐山駅から徒歩約25分。
阪急電鉄嵐山駅から祇王寺へは徒歩約35分
〇拝観時間 9:00~16:30
〇参拝料 大人300円・小人(小中高)100円