淀で一足早いお花見。
2016.3.5
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京都・淀といえば数々の名レースが繰り広げられてきた京都競馬場が有名ですが、桂川、宇治川、木津川が合流する三角洲は、古くから平安京への物資や人が往来する要衝の地でした。軍事的にも重要な場所であったことから、豊臣家と徳川家はそれぞれ城を築きました。本日はそんな歴史ある史跡を訪ねてみたいと思います。
淀城跡はおけいはんの淀駅の南西すぐそばにありますが、京阪電車の真新しいコンクリートの高架を見ていると、時の境界が存在するような違和感を感じずにはいられません。実は2007年に京都市が淀城跡公園再整備基本構想を発表しましたが、駅の高架化や京都競馬場のリニューアルとは裏腹に整備は未着手のままです。整備されると遺跡が持つ独特のシズル感が消えてしまいそうで、ちゃんと見ておきたいと思い久しぶりに再訪してみました。
淀城といえば、淀殿(茶々)ゆかりの城と思われる方が多いかもしれませんが、実は違います。1589年(天正17年)、豊臣秀吉は弟の秀長に室町時代に築城されたとされる淀城を修築させ、産所として側室である茶々に与えました。嫡男・鶴松を出産したこの城を「淀古城」と呼びます。場所は本日訪れた「淀城」の北方約500m、現在は妙教寺の建つあたりと推定されています。伏見城の築城で廃城となり、当時を偲ばせるものといえば、寺の南側にある水路くらい。これは淀古城の堀跡とされ、周辺には「北城堀」など城に関する地名が残っています。
「淀古城」に対して現在も遺跡が残る「淀城」は、1623年(元和9年)に徳川秀忠の命で松平定綱によって築造が始まり、破却された伏見城の資材と二条城の天守が移築されたそうです。完成までに約3年もかかったとされ、絵図を見ると壮大な水上都市に息を飲んでしまいます。
築城から京都守護の拠点となり松平氏や稲葉氏などの譜代大名が居城し、明治維新まで存続しました。残念ながら天守は1756(宝暦6年)の落雷で消失しましたが、現存するのが本丸石垣と天守台、水堀の一部とはいえ、見ごたえのある史跡として往時を忍ばせる雰囲気が漂っています。
淀城跡の本丸跡にあるのが、與杼(よど)神社と稲葉神社です。淀・納所・水垂・大下津の産土神として鎮座する與杼神社は、1900年の桂川改修工事に伴って、桂川の対岸から現在地に遷座されました。
稲葉神社は徳川家光の乳母・春日局の夫であった稲葉氏の初代・稲葉正成を祀った神社で、1885年(明治18年)に社殿が建立されました。稲葉氏は5代目・正知より12代、148年にわたって淀藩主をつとめました。
■淀城跡公園
住所:京都市伏見区淀本町
アクセス:京阪本線「淀駅」下車、徒歩約5分
営業時間:園内自由
URL:http://yodokanko.jp/(淀観光協会)
※掲載写真は令和4年以前のストック写真を使用のため現況と異なる場合があります。
今回の「乙な京都™」はいかがだったでしょうか。お城や石垣好きでない方にはまったく刺さらなかったかもしれませんが、私は大満足です。それにしてもこのような歴史を感じられる本物の史跡が、整備されずにポテンシャルを活かせていないのはもったいないです。逆にいえば、それだけ京都の魅力も奥深いということでしょうか。