【福岡県・宗像市】木製アーチが美しい神興橋
2026.3.31
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松尾芭蕉といえば、紀行文『おくのほそ道』で有名な俳人です。代表的な俳句に
夏草や 兵どもが 夢の跡
五月雨の 降のこしてや 光堂
古池や 蛙飛び込む 水の音
などがあります。
江戸から出発して奥州や北陸を経て大垣まで、約150日間かけて旅をしたといわれています。その健脚ぶりから、実は忍者だったなどの仮説も出るほどでした。そんな松尾芭蕉ですが、なぜか福岡市東区馬出にお墓がありました。九州のイメージとはかけ離れているのになぜここにお墓が? と思い現地へ足を運びました。
Googleマップを見ていると、時には思いがけない発見があるものです。今回もJR九州鹿児島本線「吉塚駅」周辺を見ていると、「枯野塚」という表記がありました。なんともわびしくも惹かれる名前ですが、どんな塚だろうと思ってクリックしてビックリ。
なんと松尾芭蕉の墓があるというのです。どうやら博多の俳人「哺川(ほせん)」が松尾芭蕉の弟子「向井去来(むかいきょらい)」から辞世の句を贈られ、その感銘を受けて建立したようです。
駅から歩いて10分ほどということなので、早速現地へ向かいました。
吉塚駅から地図をたどっていくと、どうやら民家と民家の間にあるようです。本当にあるのかなと疑いたくなりましたが、まるで奥の細道ならず、ほそ道の奥にありました。
奥まで進んでみると、看板や石碑が並んでいました。
どれが松尾芭蕉の墓なのか、ひとつづつ見ていきました。
看板の説明を読んでみると、どうやら俳譜史上古い部類に属するようです。
枯野塚(かれのづか)
元禄12年(1699年)、郷土の俳人哺川(ほせん)は、博多に滞在していた松尾芭蕉の高弟向井去来から芭蕉の辞世の句を贈られました。哺川はこの好意に深く感激し、同じ芭蕉の高弟志太野坡(しだやば)に「芭蕉翁の墓」の碑名の書を依頼し、元禄13年(1700年)に枯野塚を建立しました。芭蕉追慕の墓碑(句碑)としては、全国的にみても古い部類に属し、俳諧史上の価値が高いことなどから、県の史跡に指定されています。
辞世の句が届いて喜ぶ様子は、今なら推しのSNSからダイレクトメールが届いたり、X(旧Twitter)でリプライしてもらうようなものでしょうか。
石碑をひとつずつ見ていくと、本当にありました。「芭蕉翁之墓」と彫られており、松尾芭蕉の墓の左隣には、哺川の名前もありました。
一番大きな石碑には、辞世の句、
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
が刻まれています。
松尾芭蕉の影響は確かに九州の地にもおよんでおり、その高名さを改めて感じるものでした。民家と民家の間にひっそりとたたずみながらも、大事にされてきた芭蕉と哺川の墓。300以上年経った今も、仲良く並んでいました。
◾️枯野塚・哺川墓・句碑・寄附碑
住所:福岡県福岡市東区馬出5丁目9−4
アクセス:JR九州鹿児島本線「吉塚駅」より徒歩10分
福岡市営地下鉄「馬出九大病院前駅」より徒歩3分
※訪れる際は、住宅地であることを配慮してください。
URL:https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/sp/cultural-properties/detail/441