• Facebook でシェア
  • X でシェア
  • LINE でシェア

【英国】ヨーク・王様の正門&さらし首場!?ミクルゲートバー

小野 雅子

小野 雅子

イギリス特派員

更新日
2026年8月31日
公開日
2026年9月5日

ヨークは古代ローマ人やヴァイキングに始まり中世から近代へと、常に政治や宗教などにおける北東イングランドの中心地でした。

またヨークという名前を聞いて、薔薇戦争を思い出す人も多いのでは?当記事ではランカスター家と戦ったヨーク家の本拠地ヨークに今も残る、薔薇戦争にもゆかりの深い塔をご案内しますね!

AD

ザックリおさらい薔薇戦争

  • 薔薇戦争以前からある古い街並み・シャンブルズ
  • 1220年着工・1472年竣工、ヨーク大聖堂

白薔薇を紋章とするヨーク家と、赤薔薇のランカスター家。両家はともに エドワード3世の子孫でしたが、王位継承権をめぐり約30年間も内戦を続けました。のちに19世紀の歴史家らが、この内戦を薔薇戦争と命名。

1455年セント・オールドバーンズの戦い、1460年ノーサンプトンの戦い、1461年タウトンの戦いなど数々の死闘を繰り返したのち、1485年ボズワースの戦いでヨーク家最後の王 リチャード3世が敗死。

これによって薔薇戦争は事実上終結し、テューダー朝が成立しました。即位したヘンリー7世はランカスター家系ですが、ヨーク家のエリザベスと結婚。また赤と白の薔薇を王家の紋章に採用し、 両家の和解・イングランド統合の象徴としました。

ヨークを囲む市壁の正門、ミクルゲートバー

  • 王様の正門・ミクルゲートバー
  • 壁に守られた内側からの眺め
  • 兵士たちが昇降した階段で、上に上ってみよう

ヨークという街の特徴でもある市壁は、全長約3.4km(2.1マイル)。イングランドで最も長く、最も完全に残る中世の都市防壁です。

その起源は1世紀に遡り、古代ローマ軍が要塞都市 エボラクム(現ヨーク)に土塁と木柵の防御線を築いたのが始まり。その後もヴァイキングやノルマンなどこの地を占領した民族が改修・補強し、現在見られる石造の大部分は 13〜14世紀にスコットランド勢との攻防のため築かれました。

そんな大掛かりの市壁ですから、昇降する階段や出入口も多数。大きな門は4つ、小さな門や見張り塔なども6か所以上。中でも最大かつ威容を放つのが、ミクルゲートバーです。

反逆者のさらし首場?!もう1つの黒歴史

  • このアーチ上部に首が晒されました
  • 街の内側から見ると、門の裏側

代々の国王がヨークに入る時は必ずここを通ったため、「王様の門」とも呼ばれたミクルゲートバー。

アーチの一部は12世紀に建造、その際には古代ローマ人が残した石棺や石材も使われました。そして14世紀に増築し、今の威風堂々ビジュ満点の姿が完成!

しかし同時に、反逆者や処刑者らの首をさらす場所でもありました。

特に有名なのは薔薇戦争で敗れたヨーク公リチャード・プランタジネット、彼の息子エドマンド、ソールズベリー伯などで、それぞれ串刺しにした首が門のアーチ上部に掲げられました。

最後に首が掲げられたのはジャコバイト反乱の捕虜で、1746年。

(18世紀まで続いたイギリスって野蛮だなーと思いきや、日本はなんと19世紀まで。明治政府が太政官指令で廃止したのが1869年、でも実際には地方などで1872年まで行われたそうです・・・)

という黒歴史も併せ、ヨーク市街観光の際に立ち寄ってみませんか?!

トップへ戻る

TOP