キーワードで検索
こんにちは。岡山特派員mamiです。
実は四国八十八か所めぐりを区切り打ちをしながら、かれこれ10年以上続けています。
仕事の合間の歩き遍路のため、亀のような歩みですが、あと愛媛県を少しと香川県を残すのみになりました。今まで歩いた中で印象深かった遍路道を2回に分けてご紹介します。
四国八十八箇所は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の仏教寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所です。霊場を結ぶ道を遍路道と呼び、八十八箇所を通し打ちで巡礼した場合の全長は1,100~ 1,400キロメートルになり、急峻な山や深い谷を巡り、その間にある仏堂を残らず巡る修行は、現生利益を得られるといいます。
岡山駅から特急南風に乗り、後免駅で土佐くろしお鉄道に乗り換え、のいち駅を目指します。大日寺までは直線距離で1キロ程ですが、道中には動物園やワイナリー、蝋人形で坂本龍馬の生涯を再現した「龍馬歴史館」等の博物館が集まったアクトランドアクトミュージアムと、誘惑の多い施設が並んでいます。
その誘惑を振り切って、山影の細い遍路道に入ると長い石段が続き、その先に大日寺の山門が出迎えてくれます。
大日寺は天平時代に聖武天皇の勅願で行基が開いたお寺で1200年の歴史があります。
当時の本堂ではありませんが、大らかな屋根勾配が天平時代の甍を彷彿させませんか?この本堂は平成9年に再建されたばかりですが、古代の工法にのっとって、釘は使わず木組みという継ぎ手や支口という技術を用いて木材同士を組んでいます。これにより、強度と柔軟性だけでなく、美しさも兼ね備え、奈良の法隆寺のように1000年以上持つ工法です。
本尊の大日如来坐像は、行基作とされていますが、実際には平安時代後期に作られた寄木造の像です。また、脇仏の聖観音菩薩立像は、弘法大師の甥にあたる智証大師・円珍の作と伝えられています。どちらもも国の重要文化財に指定されていますが、非公開でした。
奥の院の薬師堂の傍らに弘法大師が杖を突いて湧出させたといわれる霊水、大師のお加持水が滾々と流れ出ています。渇水時にも涸れたことがなく、高知県の名水40選にも選ばれています。
大日寺はさほど広い境内ではありませんが、爽やかで清々しい空気に包まれた寺院でした。
次は第29番札所国分寺に向かいます。
約8キロの道のりがあり、 住宅と田畑が広がる田園地帯をてくてくと歩きます。
国分橋を渡り堤防沿いを歩いていると、お地蔵さまがいらっしゃいました。文化7年(1810年)の印があり、200年もの昔からこの地を見守っていらっしゃるようです。
お地蔵さまの前を流れる国分川は、かつては「地蔵の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。多くのお遍路さんを向こう岸へ渡していたようです。
土手から遍路道を見下ろすと後方の木立に国分寺があります。
ちょうど、お遍路さんがひとり遍路道をあるいていらっしゃいますね。こうした田畑に囲まれた地道を歩けることも非日常的で、歩き遍路の醍醐味ではないかと思います。
平安時代、土佐日記の著者、紀貫之が国司としてここを訪れた頃もこんな田畑の広がる風景だったのでしょうか?それとも当時は、国庁にふさわしく、市が立ち並び人の行きかう賑やかな町並みだったのでしょうか?この国分川を少し遡ると土佐・国司館(紀貫之邸跡)があります。
第29番札所国分寺に到着しました。
左右に仁王像が立ち立派な仁王門です。左下には日本遺産「四国遍路」というプレートが設置されていました。
ここは聖武天皇が国ごとに建立を命じた国分寺のひとつで、土佐国分寺とも呼ばれます。その後、弘法大師によって真言宗の寺となりました。
仁王門から金堂までは真っすぐな道です。その途中に鐘楼があり、梵鐘は創建当時の作で、口径一尺六寸五分(四七センチ)、高さ二尺五寸(六三・八センチ)、重さ六十貫(二二五キロ)あります。形から平安時代初期の特色を持つ名鐘で、国の重要文化祭に指定されています。
杮葺(こけらぶき)の屋根が美しい金堂です。たびたび兵火に遭い、永禄元年に長宗我部国親、元親親子により再建されたものです。天平時代の建築意匠、寄棟造りを取り入れ、吹寄垂木などに室町時代の特色がうかがわれます。素朴ながら古雅で閑寂の気品を備え、その貴重さから国の重要文化財に指定されています。
中門の奥の突き当りが光明殿で、この光明殿の裏には創建当時の国分寺の土壇が残っているため、国分寺全体の境内が史蹟として国の文化財指定を受けています。
国分寺の参拝が終わると次の第30番札所善楽寺へ向かいます。