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雑誌『今、こんな旅がしてみたい! 2020』の取材でルクセンブルクを訪れたときのこと。旧市街がある城砦の麓の緑深いアルゼット渓谷を歩いていると、ピンク色の人魚姫像に出会いました。現地在住のガイドさん(※後述)曰く、「メルジーナ(MELUSINA)です。この国ではメルジーナという名前を口にするだけでコミュニケーションが弾み、楽しい旅の思い出作りにつながると思いますよ」。いったいどんなお姫様なのでしょう? 10世紀に築かれた砦が発祥のルクセンブルクで広く知られる、ちょっと悲しいストーリーをご紹介します。
人魚姫の伝説は欧州各地に存在しますが、ルクセンブルクの人魚姫はMELUSINA(メルジーナ)という名前で呼ばれ、人々に親しまれています。その物語は、城砦都市ルクセンブルクの生い立ちと深く関わりがあります。
同国の歴史は、西暦963年に遡ります。モーゼルとアルデンヌの伯爵だったジークフリード1世が、ローマ人が築いた要塞の跡地である「Bockfiels」(ボックの砲台)にお城を築きました。そこが「小さなお城」を意味する「Lucilinburhuc」(リシリンブルフク)と呼ばれたのがルクセンブルクという呼称の起源とも言われています。
ジークフリード伯爵はその後、ボックのお城を砦で囲み、要塞を拡張し、現在「ボック」や、「旧魚市場」と呼ばれているあたり一体を統治して「ルクセンブルク伯爵」と名乗りを上げました。
当時、アルデンヌの伯爵であったジークフリード1世が、なぜこの地にルクセンブルクの起源となるお城を築いたのでしょうか。それにはわけがありました。
「メルジーナ」との邂逅です。
ジークフリード1世は、狩の好きな伯爵でした。ある日伯爵は、狩の途中でアルゼットの美しい谷に迷い込みました。そこには高くそびえ立つ崖があり、岩壁の上からこの世のものとは思えない美しい歌声が聞こえてきました。見上げると、崖の上にあるローマ人の城跡に美しい女性が座っていました。
アルゼット渓谷に住むメルジーナでした。
その美しい歌声と美貌の虜になったジークフリードは、やがてメルジーナに愛を告白し求婚しました。ジークフリードの情熱に心を動かされたメルジーナは、ふたつの約束を守ることを条件に、求婚を受け入れます。
ひとつ目の約束は、この崖の地に住まいを築き生涯この地を離れないこと。ふたつ目の約束は、週に一日、自分を独りにし決して干渉しないこと。
ジークフリードはもちろん「約束を守る」と誓います。メルジーナとの結婚にあたり、ジークフリードはまず、アルデンヌの所有地と引き換えに、トリアのサン・マクシム修道院から、メルジーナと約束した「Bockfiels」(ボックの砲台)を含むアルゼットの渓谷地を手に入れ、メルジーナのために城を築きました。ルクセンブルクの起源です。
結婚後ジークフリードは、約束通りに週に一度、理由を問うことなく妻を独りにしました。幸せな歳月が流れました。ところがある時、ジークフリードは、妻との約束ごとを知った友人から「美しい奥方が週に一度、ひとり自室でいったい何をしているか知りたくないのか?」と問われました。覗いて見てはどうかと、そそのかされもしました。
ある日ついに、ジークフリードは好奇心を押さえきれずに鍵穴からメルジーナの部屋を覗き見ました。メルジーナはローマ様式のお風呂につかり、ハミングしながら長いブロンドの髪をとかしていました。目を凝らすと……妻の足は鱗がキラキラと美しく光る魚の尾になっていました! ジークフリードはその光景に息を呑みました。
見られていることに気づいたメルジーナは、あまりの恥ずかしさにすぐさま窓からアルゼット川に身投げし、二度とジークフリードの前に姿を現しませんでした。
今でもメルジーナは7年に1度姿を現し、誰かがアルゼット川から救い出してくれるのを待っていると言われています。1997年には、アルゼット川の岩に人魚の姿で座っている美しいメルジーナを描いた切手がルクセンブルクで発行されました。
2011年は“メルジーナが現れる年”と新聞でも報じられ、「ボックの近くに住みたい、土曜の夜は独りにしてね、などを約束にブロンドの美しい女性と結婚した人はいませんか?」と記者が市民に問いかけて話題となりました。2018年にも「メルジーナを見かけた」という噂が飛び交いました。
次にメルジーナに会えるのは、2025年です。
ルクセンブルク国民から愛され、慕われ続けているメルジーナ。『竹取物語』の“かぐや姫”や『鶴の恩返し』の“つう”など、日本の寓話の主人公に似た存在でもあります。ルクセンブルクを訪れたら、ベンチに物憂げに腰かけているメルジーナ像があるアルゼット渓谷をぜひ訪れてみてください。メルジーナをあしらったマグカップなどのお土産は、旧市街にあるルクセンブルクハウスで入手できます。
※本記事は、ルクセンブルクの旅行会社『SAKURA Voyages(サクラ・ヴォヤージュ) 』 のガイド、古賀康代さんの監修を受けています。とくに、メルジーナの物語部分は古賀さんの著作です。無断転載はお控えください。
ルクセンブルクの取材記事は『今、こんな旅がしてみたい! 2020』に6ページ掲載されています。
地球の歩き方書籍編集部 数藤 健