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イタリア文学最大の詩人でルネッサンス文化の先駆者、ダンテ。彼の人生は波乱に満ちたものでした。しかし、そんな人生を送ったからこそ生まれたのが『神曲』です。ダンテの終焉の地となったラヴェンナとともに、世界文学の金字塔といわれる『神曲』の魅力についてもご紹介します。
フィレンツェ共和国の政変に巻き込まれたダンテは、1302年、祖国を追放されてしまいました。その後は、スカラ家に呼ばれてヴェローナへ、マラスピーナ家に呼ばれてルニジャーナへ、パドヴァ、ヴェネツィア、ルッカなどにも滞在するという流浪の生活。代表作であり三部からなる超大作『神曲』を書き始めたのは1307年頃。各国を転々としながら執筆を続けます。
1316年、領主グイード・ノヴェッロ・ダ・ポレンタの賓客として招きを受けたダンテはラヴェンナへ赴きます。ラヴェンナは5世紀から8世紀にかけてビサンチン芸術が花開いたアドリア海岸沿いの古都。ダンテは街のあちこちに残るモザイク画を「色彩のシンフォニー」と称えました。世界文学史上の金字塔といわれる『神曲』の中にも、美しいモザイク画からインスピレーションを得たと思われるシーンが多く登場します。
煉獄篇第29歌で書かれているのは、次の歌でのベアトリーチェの登場を予感させる、霊獣、天女、長老の行列の場面。百合の花をさした冠をつけ、白い服をまとう24人の長老は、6世紀初めに東ゴート王国国王テオドリックの命令で建てられたサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂のモザイク画に影響を受けたものといわれています。
聖堂内の壁一面に描かれているのは、聖母子の元へ向かう22人の聖女やキリストの元へ向かう26人の殉教者の行列など新約聖書を題材にしたもの。天国篇第33歌で聖ベルナールが「母なる処女、わが子の女」と祈りを捧げるところは、この聖母子を元に書かれたとされています。
■サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 Basilica di Sant’Apollinare
・住所: Via di Roma 52, Ravenna
ダンテは、ラヴェンナから5kmほどの位置にあるクラッセの街も訪れていました。煉獄篇第28歌の地上楽園の森の様子は、クラッセの松林を散策したときのものだと考えられています。
天国篇第14歌では、死者の魂が作る十字形の光の中でキリストが輝く様子が書かれています。このイメージが連想されるのが、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂にあるモザイク画。「キリストの変容」を題材にしたもので、99個の星が十字架のまわりに散りばめられ、宝石が並んだ十字架の中央にキリストの顔を見ることができます。サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂は、ラヴェンナの初代司教で守護聖人の聖アッポリナーレに捧げるもの。6世紀半ばに建てられ、司教マクシミアヌスによって献堂されました。
■サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂 Basilica di Sant’Apollinare in Classe
・住所: Via Romea Sud 224, Classe, Ravenna
ほかにもラヴェンナ市内のサン・ヴィターレ教会の皇帝ユスティニアヌスの肖像画やアリアーニ礼拝堂のクーポラなどのモザイク画からも影響を受けているといわれています。
1321年、ダンテは外交官としてヴェネツィアに派遣されます。しかし、その帰路でマラリアに感染。ラヴェンナに戻ったものの、9月13日(もしくは14日)、56年の生涯を閉じました。
葬儀が行われたのは、ダンテが通っていたとされるサン・フランチェスコ聖堂。5世紀に創設されましたが、度重なる改修により初期キリスト教建築はほとんど残っていません。祭壇下には水に沈んだ10世紀の地下室があり、当時のモザイク床の一部を見ることができます。
■サン・フランチェスコ聖堂 Basilica di San Francesco
・住所: Piazza San Francesco 1, Ravenna
葬儀後、ダンテはサン・フランチェスコ聖堂内に埋葬され、1780年から1781年にかけて聖堂の横に墓が建てられました。しかし、長年にわたりダンテの遺骨を巡った騒動が繰り広げられます。1519年、フィレンツェ共和国が遺骨を母国に戻したいと代表団を送り石棺を開けると中は空。フランシスコ会の修道僧が隠してしまったのです。現在の墓の建設時に遺骨は戻されたものの、1810年、今度はフランスのナポレオン軍の略奪から守るために再び隠されてしまいます。55年後、近くにある礼拝堂の修復工事中に偶然発見され、ようやく元の場所に返されましたが、その後も第2次世界大戦の戦火を逃れるため、避難させられたこともありました。
故郷に戻ることのなかったダンテ。墓の内部に下げたれた灯明には、フィレンツェから奉納された油で絶えることなく灯されます。
■ダンテの墓 Tomba di Dante
・住所:Via Dante Alighieri 9, Ravenna
イタリア東北部に位置するエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ。5世紀には西ローマ帝国その後8世紀までビサンチン帝国の都として栄え、今も街のあちこちに当時と変わらぬ輝きを見せるモザイク画が残るビサンチン芸術の宝庫です。5世紀から6世紀にかけて作られた8ヵ所の聖堂や廟は、「ラヴェンナの初期キリスト教建築群」として、1996年に世界遺産に登録されています。今回ご紹介したダンテゆかりの場所を巡るなら、こちらの順番が効率的です。
●地球の歩き方おすすめプラン
サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂
↓徒歩6分
サン・フランチェスコ聖堂
↓徒歩1分
ダンテの墓
↓バス+徒歩で20分
サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂
日本では世界史の教科書で触れる程度かもしれませんが、西洋ではシェイクスピアと並び称されるダンテ。知識人の教養として知っておくべき作品ともいわれますが、何より『神曲』を知っているとイタリアの旅がもっと深くおもしろいものになるのは間違いありません。
『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部、各篇が33歌(地獄篇は序歌を加えた34歌)の全100歌からなる叙事詩。3行を一連とする三行韻詩で構成されています。
内容は、ダンテが生きたまま、地獄、煉獄、天国という死後の世界を旅するというもの。深い森に迷い込んだ35歳のダンテは、尊敬する古代ローマの叙事詩人ウェルギリウスに出会い、その案内で地獄と煉獄を巡ります。その後、煉獄山上で待つベアトリーチェとともに天国へ。旅の終わりにダンテは神との出会いを果たすのです。
ダンテは同時代やそれ以前に生きた有名無名の死者たち、古典神話や聖書のなかの人物と語り合い、キリスト教の道徳観を示します。同時に、永遠の想い人であるベアトリーチェを神格化する、自身を祖国追放へと追いやった政敵たちを地獄に堕として復讐をするなど、自身の半生を重ね合わせた内容になっています。
ダンテが生きた13世紀から14世紀、書物はすべてラテン語で書かれていました。しかし、ダンテは初めてフィレンツェの人々が使っていたトスカーナ方言、いわゆる「俗語」で『神曲』を執筆します。ラテン語は一部の知識人と聖職者しか理解ができず、できるだけ多くの人に理解してもらいたかったためと考えられています。統一国家は存在しなかった当時のイタリア半島にはたくさんの小さな国家が乱立し、それぞれの言葉が話されていました。19世紀のイタリア王国成立時、標準イタリア語を作る際の基盤となったのが、『神曲』が書かれたトスカーナ方言だったのです。
『神曲』では、神中心の中世のキリスト教的世界観とともに古代ギリシャ・ローマの哲学や文芸、学術、つまり、人間中心の世界観についても書かれています。これは、古典文化を復興させ新たな文化を創造しようという、フィレンツェから広がった文化運動「ルネッサンス」のきっかけにもなり、14世紀から16世紀の文化人の思想や作品に大きな影響を与えました。
ミケランジェロとボッティチェッリもダンテに影響を受けたルネッサンスの芸術家として有名です。ミケランジェロは、ヴァティカン博物館システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」に地獄篇第3歌の様子を描きました。ボッティチェッリは、2度『神曲』の挿絵を描き、羊皮紙に描いたものの一部がヴァティカン図書館に所蔵されています。特に彩色された地獄には、漏斗状の空間で亡者たちが罰せられている様子が細かく描かれています。
■ボッティチェッリによる『神曲』挿絵のデジタルアーカイブ
・URL: https://digi.vatlib.it/view/MSS_Reg.lat.1896.pt.A?ling=it
近代、現代には、ロダンやダリが『神曲』を題材にした作品を制作、チャイコフスキーが地獄篇の悲恋物語から幻想曲を作曲、ダン・ブラウンが小説『インフェルノ』を執筆、日本でも永井豪が漫画『デビルマン』、車田正美が『聖闘士星矢』を描くなど、ダンテは国もジャンルも超えて支持され続けています。
文化や芸術についての知識が深まるとより旅が楽しくなるもの。また自由に海外旅行ができるようになったら、ダンテをテーマにイタリアを訪れてはいかがですか? それまではダンテの作品に触れて、その世界観に思いをはせましょう。
■没後700年、『神曲』の作者ダンテと歩くイタリア① ~フィレンツェ編
・URL: https://news.arukikata.co.jp/column/sightseeing/Europe/Italy/FLORENCE/146_082027_1627433877.html?w=146
文:河部紀子(editorial team Flone)
写真:iStock
・URL: https://visitaly.jp/
※当記事は、2021年7月26日現在のものです
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