
アストゥリアスの歴史や見どころを知りたい方は「スペイン・アストゥリアスの知られざる魅力 ①町の歴史と世界遺産」をチェック!
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海外からの観光客数では常に上位に位置するスペイン。定番のバルセロナやマドリード、人気のアンダルシア、ビーチリゾートのコスタ・デル・ソルなど、人気観光地は枚挙に暇がない同国ですが、近年は美食の街サン・セバスティアンや巡礼地で知られるサンティアゴ・デ・コンポステーラなど北スペインも人気急上昇中です。今回ご紹介するのは、北スペインのまん中に位置するアストゥリアスのグルメとシードラ(シードル)です。
目次
アストゥリアスは南部の山岳地帯により内陸部と隔てられているため、植生も内陸部と大きく異なり、とても緑豊かな土地です。東部にはロス・ピコス・デ・エウロパ(ヨーロッパの頂の意)という国立公園があり、豊かな森林地帯と湖、また冬には雪深くなる高山もあり、まるでスイスのような風景が展開されます。そのおかげで酪農が盛んであり、チーズなど乳製品の生産地でもあります。
スペインでチーズといえばケソ・マンチェゴが有名ですが、これは羊乳で作られた内陸部ラ・マンチャの産。実は北スペインこそ知られざるチーズ王国で、アストゥリアスにはチーズ工房が100カ所近くもあり、300種類以上のチーズが生産されているそうです。ミシュラン星付きを含む30近くのレストランを経営し世界的に有名なシェフ、ホセ・アンドレス氏(パレスチナ人道危機に際して食糧支援を行って話題となったワールド・セントラル・キッチンの創設者)が、アストゥリアスの極上チーズをご指名で取り寄せているというのは知る人ぞ知るお話です。
牛の放牧が盛んであるためか、これまた珍しい牛の生ハム「セシーナ」を食することができます。スペインで生ハムといえば言わずと知れたハモン・セラーノ。良質な脂身とうまみ豊かな赤身で人気の食材ですが、セシーナもまた、見た目は負けず劣らずのサシの入った美しさです。お味はといえば、口に含んだ瞬間はビーフジャーキーのような牛独特の風味が広がりますが、肉質の柔らかさと良質な脂は、まごうことなき生ハムです。日本のスペイン料理店ではまずお目にかかることのできないセシーナは、ぜひ現地まで足を運んで経験してほしい珍味です。
アストゥリアスはイスラムの影響を受けずキリスト教文化を守り続けただけでなく、実は、ヨーロッパ古来のケルト文化も残されており、今日もその伝統の継承として、バグパイプの演奏を街中で見ることができます。スペインでバグパイプというと、とても意外に感じるかもしれませんが、湿潤温暖で夏でも涼しいこの土地は、どこか北ヨーロッパの街並みにも似て、不思議とマッチした光景です。
そして、この地方の特産といえば、シードラです。シードラはリンゴの果汁を発酵させたお酒で、フランスではシードル、イギリスではサイダーと呼称される古式の発泡酒です。ヨーロッパではローマ帝国の拡張とともにワイン栽培も北上し良質なワイン産地を各地に形成しましたが、ブドウは元来地中海エリア由来であり温暖な気候が必要なため、栽培地にも北限があり、寒冷なブルターニュ半島やブリテン島などブドウの栽培限界の地には、旧来のシードル生産が残されました。
そうしたエリアはケルト文化圏とも重なり、イベリア半島北部にも、ケルトの残照とともにシードル文化も継承されてきた、というわけです。
前述したように、いわゆるシードルのことを、スペインではシードラと呼びます。製法はいたって単純で、リンゴの果汁をしぼり発酵させるもので、樽内で熟成し微発泡の状態で瓶詰めされます。飲み方も独特です。開封されたシードラの瓶を頭上高く持ち上げ、もう片方の手にシードラ用の広口のグラスを持って腰より低く構え、そこへ頭上から一気に注ぎ込む。これにより、微発泡状態のシードラがより泡立ち風味が増すという仕掛けです(バスクでも似たような注ぎ方が知られますが、こちらはチャコリという微発泡白ワインで、シードラではありません)。
飲み方も独特で、グラスには2cm程度しか注がず、それを一気に飲み干すというお作法。もし飲み切れなかったら、残りはサッと地面に捨てて、次の一杯を注いでもらう、という飲み方なのです。若干もったいない感じもしますが、泡立った状態のままですぐに飲むのが、香り高くシードラを味わう方法だそうです。一気飲み、というと、ちょっと酔っぱらってしまいそうですが、シードラはもともとアルコール度が低く(3~8%程度)、さっぱりとして飲みやすいお酒ですので、あまり心配はいりません。
今回のアストゥリアス訪問では、地元のシードラ醸造所を特別に見学させてもらう機会に恵まれました。巨大な栗の木の樽から発酵途中のシードラを直接グラスに注いでもらい、試飲しました。樽によって発酵段階が異なるそうで、渋みが強く感じられたり、発酵が弱かったり、あるいはリンゴ果汁そのままに近かったりと、熟成を進める製造のプロセスも感じ取ることができ、貴重な体験でした。
この醸造所の社長さんは、シードラの魅力をもっと世界に広げていきたいと考えており、たとえば、地元産のリンゴ使用にこだわった酒造りなど、日々研究を重ねているとのこと。ワインのようにその土地の特徴(テロワール)を生かしたオリジナリティのあるシードラ作りで、シードラの価値を上げていきたいと、その意欲を語ってくれました。
現在、シードラは世界的に注目されてきており、ビールよりも苦みが少なく、ワインよりアルコール度が低く、カジュアルに飲めるアルコールという点で人気のようです。ただ、一般に出回る大量生産のシードラは、安いリンゴを大量に集め、加糖したり炭酸を加えたりしているそうで、本来のシードラが持つナチュラルなものとはやはり違うとのこと。実際にスペインでも、フランス産の安いリンゴを大量に輸入してシードラを製造しているそうで、この醸造所でもそうした製品もあるそうですが、それとは別に、地元産の2種のリンゴだけを使って、それをブレンドした特色ある美味しいシードラの製造を目指しているとのことでした。
今回、醸造所見学のあと、社長さんに昼食にさそわれ、一緒にお食事する機会もありました。これまたスペインの常で、午後2時ごろからの昼食会となり、地元料理のファバーダを堪能しました。
ファバーダとは、白インゲンとモルシーリャ(豚の血入りソーセージ)、チョリソ、豚肉を一緒に煮込んだアストゥリアスの郷土料理です。残念ながら筆者は、これまで豆料理でそれほど美味しいと思えるものに出会ったことが無かったのですが、今回は別でした。見た目こそ、ザ・田舎料理ですが、ほっくりと煮込まれた豆の美味しさはもとより、おそらく豚の脂身のおかげか、煮込んだ汁が背油入りのラーメンスープのような濃厚さで、自分史上最高の豆料理でした。
店の壁には「世界でナンバーワンのファバーダの店」との記載があり(そもそも地方料理のファバーダが世界中でどの程度食されているかわかりませんが笑)、その看板に偽りはないでしょう。ちなみにモルシーリャは癖があって苦手、という人もいるかもしれませんが、私の食べたファバーダはこれといった臭みもなく、先入観にとらわれずトライすることをお薦めします。
滞在中、街中の市場やお土産屋さんでは白インゲン豆とモルシーリャやチョリソ、豚バラ肉などがそろってパックされたファバーダ・セットを売っているのをよく見かけました。検疫の関係で日本には持ち帰れなかったのがとても残念でした。ファバーダは『地球の歩き方 スペイン』にも紹介がない地方料理で、おそらく日本のスペイン料理店でも提供しているお店はあまりないのでは、と思います。やはり、前述のセシーナ同様、地元でしか食せない美味・珍味を堪能するには現地に足を運ぶしかありませんし、また、それが旅心をくすぐるのであります。
アストゥリアスは緑豊かな山深い土地ですが、北面は大西洋に面しており、海の幸にも恵まれています。マグロやイワシの缶詰の一大生産地であり、海辺に点在する小さな港町で地元の新鮮な海産物を食することができます。スペインの大西洋岸といえば、美食のバスク、あるいは「タコのガリシア風」で有名なガリシアなど、世界中の美食家が注目を集めているエリアです。当然、海産物に目が無い日本人にもお奨めの土地ですが、アストゥリアスも海の幸、山の幸の両方が楽しめる、知られざる美食の地と言ってよいでしょう。
スペインは旅好きの中でも、居心地の良さと美食にハマってリピートする人が多い国で、当の筆者もそのひとりです。今回ご紹介したアストゥリアスは、すでにバルセロナもマドリードもアンダルシアも堪能した、というヘビーリピーターにこそ、一度はお勧めしたいとっておきの渡航地です。
PHOTO:新井邦弘、iStock