
地球の歩き方 ガチ冒険~地球の歩き方社員の旅日記~
2024.10.23
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20代から40代の元・現役バックパッカーの男子社員が学生の頃や最近旅してきた記憶を頼りに自分たちで決めたお題に沿って文章を書いてまとめた『地球の歩き方 ガチ冒険~地球の歩き方社員の旅日記~』から、ひとつのエピソードを抜粋してお届け。
ガンジス川の旅の余白で考えた死について、ぽつりぽつりと思うままに書いたエッセイ。
これから書くお話はありきたりでつまらないだろう。この原稿を書いている今、深夜午前3時。テンションがおかしいので、気持ち悪い文章になっていると思う。
初めてインドに行って、初めてガンジス河を見たとき、「帰ってきた」と感じた。この感覚はガンジス河を見た人ならわかるかもしれない。俺は純日本人で「インドに帰ってきた」というのはおかしいのだけれど。それでも帰ってきたという感覚が本当に不思議だった。結局、こういう感覚はメディアが刷り込んできたもので「自分も生きてきた時間の中で自分とは関係のないものがたくさん刷り込まれているだけなんだ」と思った。しかし、1日、2日……、とバラナシにいる時間が蓄積してくるとなんとなく、なんとなく、そう思う本当の理由がわかった気がした。
バラナシ(ワラーナシー)ではやることがなかった。日の出とともに起きて、ガートでチャイを飲みながらタバコをふかす。日が暮れてきたらメグカフェで夕飯を食べて、夜の散歩をして帰って寝る。その繰り返しで、たくさん時間があったからガンジス河と朝日と夕日を眺めながら色々なことを考えた。
人の死。一緒に火葬場を見に行った日本人の彼は世界一周中だった。彼は最近、大好きなおばあちゃんが亡くなり、お葬式のための一時帰国を経て旅を再開したところだった。彼は「火葬場を見ていると悲しい気持ちになるから嫌だ」と言ってあまり行きたがらなかった。結局、俺はあらためて一人で見に行った。死なんて考えたことがなくて、あのとき、俺には死は遠い存在だった。でも火葬場をずっと眺めていると死が身近なことだと思えてくる。
インドに行く少し前に小学校のときに憧れだった友達が死んだ。彼はサッカーもテレビゲームも上手くて本当にカッコよかった。サッカーが下手だった俺に色々なことを教えてくれた。俺にとっては彼はサッカー選手であり、スターだった。俺が社会人になった直後、彼は死んだ。中学生のときに一度だけ、試合をしたことがあったが試合をしただけで、小学校以来会うことはなく、直接御礼が言えなかった。彼がいなかったらサッカーをやっていなかっただろうし、サッカーを通してたくさんのことを学べなかった。火葬場からの帰り道でチャイを飲みながら「もう彼には会えないんだ」ということを思い出した。その日の夜は銀杏BOYZの青春時代を聴きながら寝た。
ガンジス河に入った瞬間、世界が変わった。暑い外気から冷たい河の水に体が包まれたとき、視覚から入ってくる情報の密度が変わった。ガンジス河の水に浸かった俺が見た、あの空と対岸の枯れた大地の景色は水の中に入る前に想像していたそれよりも広くて大きかった。
バラナシで過ごす最後の夜、フレンズゲストハウスの屋上から月を眺めながら考えた。何万年も昔からこの大地はあって、果てしないほどの時間を旅してきた水があって、数え切れないほどの人、命が亡くなっては新しく生まれてくる。たくさんの音楽や映画、本、言葉、絵、写真、出会い、服、恋愛、ありとあらゆるものが新しく生み出されて人と人の間で嫌われたり好かれたりして、なくなっていく。そして結局はまた最初に戻って、また新しいものが生まれていく。
たくさん、たくさん流れてきた時間の中で、自分なんてひとりの人間は本当に小さいものだ。こうやって書いている原稿だってそう。小さすぎて存在しているかもわからない。バラナシという土地が、ガンジス河の水が、インドの空気が、いろいろなことを考えさせてくれたのだろう。死を目の前で見て、もっと強く生きようと思った。目の前のものを全力で愛し、目の前のものを全力で受け入れて。全身全霊、五臓六腑、五感の全てで。
まぁ、実際はそんなことよくわからないまま生きているし、物事を全力で受け入れるなんて全然できていないんだけれど。この原稿を書きながら思い出したくらいだし。逃げてばっかり。でもあのとき考えたことは確かだし、やっぱり最初に戻って、また再び小さな人生は続いていくのだろう。
また入りに行きたいな、ガンジス河。
文・写真/倉林 元気
本書は4人の旅好きによるただの旅日記です。特に海外旅行の参考になる情報はありませんが、読者の皆様もご自身で経験されたことを思い出しながら、比較しながら、読んでいただければ幸いです。