• Facebook でシェア
  • X でシェア
  • LINE でシェア

急激に成長するインドに眠る、変わらないもの【編集者エッセイ】

地球の歩き方編集室

地球の歩き方編集室

更新日
2025年3月17日
公開日
2025年3月18日
ワラーナシーのメインガートでの沐浴風景(1994年)

長年『地球の歩き方インド』『地球の歩き方arucoインド』の編集を手がける松岡宏大氏による、インドの今と昔を比べて思うことを綴ったエッセイ。急激な経済発展により目まぐるしく変化するインドに眠る、変わらないものとは。

AD

気がつけば30年以上もインドに通い続けている。

インドを初めて訪れたのは1990年のことだ。学生貧乏旅行者であった僕が旅のバイブルのように読んでいたのは、藤原新也氏の『印度放浪』だったのだが、この本が世に出たのが1972年。この時すでに20年近い年月が過ぎ去っていたわけだが、目の前には藤原新也氏の写真と寸分違わぬ世界が広がっていたことに驚いた。当時のインドのGDPは3211億ドル、人口が日本の10倍にも関わらず、日本のGDP(3兆1860億ドル)の10分の1しかなく、世界最貧国のひとつに数えられていた。しかし、実際にインドの地に降り立ってみれば、市場には野菜や果物、衣類があふれ、これをほぼ自給でまかなっている。食料をはじめ流通している品物のほとんどを輸入に頼りながら、世界第2位の経済大国を標榜しバブル経済に浮かれていた日本から来た身としては、いったい豊かさと貧しさとはなんなのか突きつけられた気がした。

ワナーナシーのメインガートで毎夕行われる儀式アールティ。昔からやっていたのだ が、いつの頃からかショーアップされた(2025年)

一方で、当時のインドは外国製品が珍しかった。1947年のイギリス植民地からの独立以来、「スワデーシー(国産品愛用)」を旨とし、経済は国主導の社会主義的な色彩の強い国だったからだ。産業のほとんどは官営企業が担っており、日本から持ってきたものであれば安物のボールペンや使い捨てライターでさえ、みんなが宝のように欲しがったものだった。鉄道だって遅れるのが当たり前、それも10分20分ではなく、10時間20時間というスケールの大きなもので、分岐点を間違えて途中から逆方向に引き返す、場合によっては全然違う駅に着くなんてことすらあった。こちらはお金はないけれど、時間は捨てるほどある身だったから、1日や2日遅れたからといってなんの問題もなかったが、仕事で来ていた商社の駐在員にとっては一大事。見失わないように大切な商材や鉄鋼と一緒に列車に乗って旅をしたという逸話も聞いたことがある。

この1990年というのは、世界的に大きな転換期でもあった。ベルリンの壁の崩壊(1989年)、ソビエト連邦の崩壊(1991年)……社会主義がうまく機能しないことが明白になった時代だ。社会主義的経済政策をとり続けてきたインドも例外ではなく、1991年、保有外貨が底をつきデフォルト寸前にまで追い込まれていた。当時のナラシマ・ラオ政権は、のちに首相となるマンモハン・シン財務相を旗振り役として、民間企業や外資を受け入れる自由経済へと舵を切ることになった。以降、インドは急激な経済成長を遂げることなる。

今ではボールペンは5ルピー(約10円)で手に入るようになった。鉄道もかなりダイヤに正確に運行されるようになったし、新幹線のような特急電車も運行されている。

インドにもセンスのよいおしゃれな店が急増している(ジャイプルのパレスアトリエ 2025年)

庶民レベルの大きな変化のひとつは、ファッションだと思う。1990年当時、女性は、サリーまたはパンジャビードレス。ほとんどこの2択しかなかった。インドでは足が見えることが恥ずかしいこととされるので、短パンやミニスカートなどもってのほか、ジーンズでさえ「足のラインが見えて恥ずかしい」ということで女性からは敬遠されていた。(逆に男性はジーンズを欲しがっていた。なかなか手に入れることができない憧れの品だったように思う。僕も「履いているそのジーンズ譲ってくれ」と言われた記憶がある)

ファッションにおける大きな潮目の変化を目の当たりにしたのは、僕らが『地球の歩き方arucoインド』を制作した2010年手前あたりだろう。インドを飛び出し、イギリスやフランス、イタリア、アメリカなどでデザインや服作りを学んだ若い人たちがインドに戻り、自分たちのブランドを立ち上げはじめたのだ。彼らはハウズカースを中心にサウスデリーに小さなアトリエを構えていたのだが、取材と称しぶらぶらしていた僕らをウェルカムでアトリエに上げ、ゲストルームに泊めてくれたりもした。11-11、pero、BODICE、KAMA……あれから15年が経ち、今では大御所といってもいい有名ブランドに成長している。どのブランドにも共通して言えるのは、アイデンティティとして立ち戻ったのは、「スワデーシー」の精神だということだ。手紡ぎの糸、地元の原料を使った染め、人の手による縫製……インドに脈々と根付いている職人の手仕事や技術を、自らのデザインに落とし込んだのである。

ワラーナシーのメインガートの風景。30年前とあまり変わらない(2025年)

なにより大きく変わったのはやはり物価だろう。経済が発展しているのだから当たり前だ。1990年、学生貧乏旅行者だった僕は1ヵ月の滞在費を3万円に設定していた。宿泊費・食費・移動込みで1日1000円である。もちろん長距離移動するときは多少オーバーしてしまうのだけれど、それでもなんとかやりくりできないことはなかった。しかし、現在、この費用でインドを旅するのはほぼ不可能だ。もちろん、こちらがもう学生貧乏旅行者ではなく(貧乏なままではあるが……)、旅のスタイルが変わったこともあるのだが、宿泊費だけで1泊2000円はかかる。当たり前だ。マクドナルドやスターバックスといった日本でもお馴染みのチェーン店が軒を連ね、ここインドでも日本同様の大混雑。値段にいたっては、円安が進んでいる現在では日本よりも高いくらいなのだから。2024年のインドのGDPは3兆8891億ドル、それに対し日本は4兆700億ドル。2025年には、いよいよ日本を上回り、世界第4位の経済大国となる試算が出ている。

今、僕はナルマダー川のほとりにあるヒンドゥーの聖地に滞在している。ここはヒンドゥーの神話の中でクリシュナが命を落とした場所と伝えられている。聖地とはいえあまりにもマイナーな聖地。『地球の歩き方』や『Lonely Planet』にも載ることない小さな村だ。僕は30年前もここを訪れたことがあるのだが、昔も今も外国人の姿を見かけたことは一度もない。女性はみんなサリーを身に纏っている。男性は毎日欠かさず朝の6時半に沐浴を行っている。死者は河原で荼毘に付され聖なる川に流されている。正直なところ、30年前とまったく変わらない景色が目の前に広がっている。変化といえば、川を渡る船が帆船からエンジン付きの船に変わったことくらいか。

1990年に初めて訪れて以来、数えきれないくらいインドを訪ねてきた。ニューデリー国際空港を降り立ち、タクシーの車窓の外を流れる景色を眺めながら「インドも変わったな……」と毎回呟いている。しかし、翌日、オールドデリーの雑踏を歩きながら毎回こう叫んでいるのだ。「全然変わってないじゃないか!」

  • ナルマダー川の岸辺にある小さな聖地。対岸から美しい朝日が昇る(2025年)
  • 毎日欠かすことなく沐浴するという男性。ここではショーアップされることなく静かな祈りが捧げられている(2025年)

※2024年のGDPはIMF推定値(https://www.imf.org/en/Home)」を参照。

■著者プロフィール

松岡宏大 まつおか・こうだい
編集者・写真家など。『地球の歩き方インド』『地球の歩き方arucoインド』編集担当。長年にわたり南インドやアフリカを中心に辺境エリアの取材・編集に携わる。KAILAS名義で著作やイベントも行っている。共著に『持ち帰りたいインド』(誠文堂新光社)、『タラブックス〜インドの小さな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)などがある。インドのタラブックスより『Origins of Art~The Gond Village of Patangarh』を上梓。2024年2月に出版された『ひとりみんぱく』(国書刊行会)が好評。
トップへ戻る

TOP