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インドの魅力に取り憑かれた理由【編集者エッセイ】

地球の歩き方編集室

地球の歩き方編集室

更新日
2025年3月17日
公開日
2025年3月18日
マハークンブメーラーで川にかけられた浮き橋を渡りサンガム(3つの川の合流点)へ向う人並み(2024年)

長年『地球の歩き方インド』『地球の歩き方arucoインド』の編集を手がける松岡宏大氏が、ここまでインドの魅力に取り憑かれてしまった理由とは。大学時代のはじめてのインド旅から、2025年2月の「マハークンブメーラー」の参加までをふり返る。

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長いことインドと関わっていると、しばし尋ねられるのがこの質問だ。悠々と流れるガンガー、美味しい料理、深淵なる音楽、煌びやかな映画、手仕事が息づくテキスタイル、朗らかで親切なインド人……インドの魅力については列挙にいとまないが、実際のところどう答えていいのか、僕にもよくわからない。これが答えになっているのかどうかわからないが、僕がインドと関わってきた体験を少し話してみることにしよう。

僕が初めてインドの地を踏んだのは、ロンドンからの帰り道だった。当時の航空券は南回りというのがあって、ヨーロッパへ直行便で行くよりも、香港やシンガポールなどで乗り継いで行く方が時間はかかるが安かった。貧乏学生であった僕はいくら時間がかかっても、1円でも安く旅がしたかったのだ。なかでも安かったのが、カラチを経由するパキスタン航空や、コロンボを経由するエアランカ(現在のスリランカ航空)、そしてデリーを経由するエア・インディアだった。僕はその頃、お金を貯めてはロンドンに行っていたのだが、何度目かの渡英の帰り道にふとインドで降りてみようと思い立った。時間はたくさんあったし、ストップオーバー(途中降機)も無料だったからだ。高校時代から日本国内を旅してきたし、ヨーロッパも旅してきたから、なんとなく旅行者としての自信というのがついてきていたわけなのだが、インドに降りてみたら驚いた。これまで培ってきた旅のノウハウ、というか常識が通用しないのである。乗り物ひとつ乗るにもいちいち値段交渉しなければならないし、親切そうに話しかけてきた人についていけば悪徳私設ツーリストンフォメーションに連れていかれるし、道を訊ねれば正反対方向を指されるし……。とにかく最初のインドはまったく訳のわからないまま1週間をデリーで過ごし、這々の体でインドを後にしたのであった。おまけに、地元の人が大丈夫なのだから僕も大丈夫だという根拠のない自信によって、現地の安食堂で出される水をがぶ飲みしていたら、帰国後A型肝炎に罹患していることが判明し、緊急入院させられるというオマケ付きだった。しかし、病床に横たわりながら頭の中で逡巡するのは、ロンドンでの記憶よりも「インド、あれはなんだったのか」という思いだった。

そんな思いが募り、休みのたびに僕はインドを目指すことになる。そこでヒッピーのような世界中の旅行者に出会ったり、「本当に」親切なインド人と出会ったりしながら旅を続け、次第にインドというものの輪郭が浮かび上がってきた。この国は一見メチャクチャに見えるのだが、実は一定のルールがある整然とした世界なのだ。たとえば道を訪ねて反対方向を指すのも、決して嘘をついているわけではない。訊かれたのだから答えてあげようというサービス精神の表れなのだ(同時に「知らない」と言えない虚栄心もある)。これを逆手に取れば、わからないことや困ったことを尋ねれば、みんなが一緒に助けてくれようとする。彼らが提示する解決方法は、大概シンプルすぎて阿呆のようであり、自分の常識と照らし合わせると「そんな単純なことではないだろう」とツッコミを入れたくなるのだが、実際にやってみると、かえってそっちのほうが上手くいくことが多いのである。そういうコツがわかってくると、インドという大地をスイスイと泳げるようになってくる。そして、数週間ぶらりと旅行するのではなく、もっとじっくりと腰を据えて見なければ、この国の姿はわからないと思うにいたった。僕は翌年、大学を1年休学して本格的にインドを旅することに決めた。

実はこの時、大学側からカナダの大学へ交換留学に行かないかという申し出を受けていた。しかし、「来年は大学休んでインド行くんで!」と即答していたのであった。今から振り返れば「とりあえずカナダへ行っとけ。インドはいつでも行ける」とアドバイスしたいところであるが、若いというのは阿呆と同義語である。ただ、僕はすでにそのくらいインドに魅了されていたのだ。

僕にはインドの師匠がいた。故・清好延さん。三菱商事に勤め20年以上インドに駐在し、財界のみならず政界にも顔がきき、当時のインド首相とも個人的交友関係があったという伝説的商社マンである。これまで僕が出会った誰よりもインドのことをよく理解している知の巨人でもあった。(興味があれば、清さんの著書『インド人とのつきあい方』(ダイヤモンド社)をご一読いただきたい)

僕が清さんと知り合ったのは、重役に就いていた三菱商事を早期退職され、日印調査委員会という外郭団体に勤めたり、JICA経由でインド政府の役人として派遣されていた頃だ。親子ほど歳が離れていたのだが、ボンクラ学生のどこを気に入ってくれたのか、とても目をかけていただいていた。僕は何ヵ月もインドをバックパックで旅をしていたのだが、清さんのインド出張と重なるたびデリーで落ち合った。いつも清さんはタージホテルに投宿していたから、僕はそこで数ヵ月ぶりにバスタブに浸かっていた。そして、清さんに頼まれるまま、財界人との会合に鞄持ちとして付き合わされていた。そこで見る世界は、こんな富豪がいるのか、こんな荘厳な場所があるのか、こんな美味しい料理があるのかと驚くことばかりだった。僕がバックパッカーとして1ルピーをめぐってリクシャードライバーと喧嘩するような旅していては絶対に見ることのできない世界だった。清さんは「あなたの知らないこんなインドもあるのだ」ということを僕に教えてくれていたのだ。この経験と視点は、『地球の歩き方インド』を制作する側になった現在、とても役立っている。

インドは多様性の国だ。かれこれ30年も通い続けているが、インドという国に対しての興味が尽きることがない。いまだ毎回行く度に、これまで僕がまったく知らなかった姿を見せてくれる。インドを旅する人、関わる人たちの知識見識もずっと深度が増している。現在の『地球の歩き方インド』では、松岡環さん(映画)、アジアハンター小林真樹さん(料理)、calico小林史恵さん(テキスタイル)、田村ゆみさん(アーユルヴェーダ)、井生明さん(音楽)らに寄稿していただいている。その筋ではよく知られたインドのエキスパートたちだ。彼らが見ているインドの姿は、僕が見ているインドの姿とはまったく違う。知れば知るほど自分の無知と向き合い、わからないことだらけだと気付かされるのがインドなのだ。

僕はこの2月、インドのプラヤーグラージ(イラハバード)という町に行ってきた。マハークンブメーラーという12年に一度の大祭を見るためだ。ガンガーとヤムナー、そして(伝説上の)サラスワティーという3つの聖なる川の合流点サンガムにサドゥ(遊行者)が大結集して沐浴するという祭りである。ここクンブメーラーに集まるのはおもにナガババと呼ばれるサドゥの一派で、素っ裸で全身に灰を塗ったくっている。冷静になってみると、これは相当特異な存在である。一糸まとわぬ姿で往来に立っている、つまり下半身を露出した状態でほっつきまわっているということで、日本だったら気が触れた存在として一瞬で警察に囲まれるだろう。しかし、インドでは一般の人も「そんなのいるよね」くらいな感じで別段に気にかける様子もない。それどころか時々お布施を渡して祝福をしてもらったりしている。

  • サンガムに集まる人々。当局の発表では1ヵ月半の祭り期間中、集まった人はのべ6億人だとか。ちょっと盛っていると思うが、とにかくすごい人出だった(2025年)
  • 今回のマハークンブメーラーは144年に一度という星まわり。このときここで沐浴することがヒンドゥー教徒にとっての僥倖なのだ(2025年)

サドゥは、生と死のあわいに暮らし、インド中を遊行している。ヒンドゥー教において「行」とは「何も行わないこと」を意味するという逆説的な命題がある(これは同じくインドで成立した仏教にも言えることだが)。たとえば座って瞑想する、土の中に埋まる、逆立ちを続けるなど、社会にとって何の役にも立っていないのである。ときに日本では「聖者」と訳されることもあるが、実際のところ彼らが聖者であるとはとても思えない。もしかしたら本当の聖者もいるのかもしれない。願わくば、いてほしい。しかし、彼らの多くは俗物だ。外国人の旅行者を見かければお金をせびってきたり、今回のクンブメーラーでは、SNSに投稿するように頼まれたり、YouTube生配信しているサドゥにも出会った。でも、それでもいいじゃないか。「聖者」だと思い違いをしているのはこちらの方であって、彼らにはそのつもりなんてない。ありのままに生きているだけなのだ。そういう存在さえ受け入れているのがインドという国なのである。

クンブメーラーに来ていたサドゥ。人々は祝福してもらったり、人生相談を受けたりしている(2025年)

かつて立川談志という落語家がいた。談志はインドが大好きだったという。僕にはその理由がなんとなくわかる気がする。落語にはクズで阿呆なキャラクターが登場するが、絶対に悪者として扱われることがない。みんなにバカにされながらもどこか愛嬌があり、オチで必ずひろわれる。インドは落語に似ている。インドはどんな人間であっても生きることを肯定してくる。この歳になってもインドの旅を続けている、僕のような阿呆な人間をもひろってくれるように。

■著者プロフィール

松岡宏大 まつおか・こうだい
編集者・写真家など。『地球の歩き方インド』『地球の歩き方arucoインド』編集担当。長年にわたり南アジアやアフリカを中心に辺境エリアの取材・編集に携わる。KAILAS名義で著作やイベントも行っている。共著に『持ち帰りたいインド』(誠文堂新光社)、『タラブックス〜インドの小さな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)などがある。インドのタラブックスより『Origins of Art~The Gond Village of Patangarh』を上梓。2024年2月に出版された『ひとりみんぱく』(国書刊行会)が好評。
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