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古代ギリシャ文学を代表する英雄譚「オデュッセイア」。作者とされるのは、紀元前8世紀ごろに活動したと伝わる詩人ホメロスで、同じくホメロス作とされる「イリアス」とともに、西洋文学の源流にして、現代へと続くあらゆる冒険譚の原点ともいえる不朽の名作です。2026年9月には、クリストファー・ノーラン監督による映画『オデュッセイア』の公開も予定されています。「イリアス」がギリシャ勢とトロイア勢の戦争を描いた叙事詩なら、「オデュッセイア」は“戦争が終わった後”の物語。トロイア戦争を終えたギリシャの英雄オデュッセウスが、故郷イタケー島へ帰り着くまでの、10年にわたる漂流と冒険を描いています。物語の舞台は、神々、怪物、魔女、精霊たちが息づくエーゲ海と地中海世界。主人公は旅の途中で数々の試練に出合いますが、これは単なる英雄の武勇伝ではありません。長い旅の果てに「故郷へ帰る」ことをめざす物語であり、冒険譚であると同時に、家族、故郷、知恵、忍耐をめぐる壮大な人間ドラマでもあるのです。
今回は、原作の「オデュッセイア」がどんな物語なのかをご紹介します。
物語の主人公オデュッセウスは、ギリシャ西部に浮かぶイタケー島の王。勇猛な戦士でありながら、武力よりも知略に優れているというのが最大の特徴。その賢さを象徴するのが、トロイア戦争における「トロイの木馬」の計略です。ギリシャ軍が城壁に囲まれたトロイアをなかなか攻略できずにいたなか、巨大な木馬の内部に兵を潜ませ城壁内へ入り込む。そんな大胆な作戦を考案した人物として知られています。正面から力で押し切るのではなく、状況を読み、言葉を操り、ときに変装や策略も用いて危機を切り抜ける。そんな才知に富んだ人物像こそ、オデュッセウスの大きな魅力です。
一方で、彼は誇り高く、ときに不用意な言動で神々の怒りを買うこともあります。それを象徴する出来事が、海神ポセイドンの息子である一つ目の巨人ポリュペモスに捕らえられた際の一件です。オデュッセウスは彼の目を潰して脱出しますが、逃げ際に自分の名を明かして挑発してしまい、ポセイドンを怒らせてしまいます。10年にわたるトロイア戦争が終わればすぐに故郷へ帰れるはずだった英雄は、そこからさらに10年もの歳月を、海の上で費やすことに。なんと故郷に帰るまでに合計20年もの長い月日を要することになるのです。
神ではなく、失敗もし、怒りも買う――そんな不完全な人間の英雄であることも、オデュッセウスという人物の大きな魅力です。
「オデュッセイア」の物語の始まりで描かれるのは、戦争から10年が過ぎてもオデュッセウスが帰らない故郷イタケーの姿です。宮殿には、王の不在に乗じて妻ペネロペに結婚を迫る求婚者たちが居座り、息子テレマコスは父の消息を求めて旅に出ます。
一方、オデュッセウスは女神カリュプソの島に7年ものあいだ留め置かれていました。神々の決定によってようやく島を出た彼は、海難の末にパイアキア人の国へ漂着。そこで、トロイアを出発してから経験してきた数々の冒険と試練を、自ら語り始めます。一つ目の巨人に仲間を奪われ、魔女キルケ―の島では部下たちを豚に変えられ、甘美な歌で船乗りを惑わすセイレーンの海を渡る――。オデュッセウスの帰路は、神話的な脅威と誘惑に満ちた、長く過酷な旅だったのです。
怪物たちとの遭遇や不思議な島々での冒険が語られたあと、物語は再び現在へ戻ります。長い漂流の果てに、オデュッセウスは故郷イタケーへ帰り着くことができるのか。そして、20年もの不在の間、空白だった自らの居場所を、再び取り戻すことはできるのか――。神々と人間の思惑が交錯するなか、英雄の旅はいよいよ終着点へと向かいます。
例えば、一つ目の巨人キュクロプスは、後世の怪物像にも大きな影響を与えた存在です。なかでも有名なのが、オデュッセウスたちを洞窟に閉じ込めるキュクロプスのひとり、ポリュペモス。仲間を食われるという絶体絶命の状況のなか、オデュッセウスが機転を利かせて脱出する場面は、物語屈指の名場面として知られています。日本では、英語読みのサイクロプスと呼ばれることが多く、日本の人気RPGゲームにもたびたび登場します。
魔女キルケーは、魔法によって人間を動物に変える妖しい存在です。オデュッセウスの部下たちを豚に変えてしまう一方で、のちには彼に助言を与えるなど、単なる悪役ではない複雑な人物として描かれています。ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』にも、第15挿話「キルケー(Circe)」があり、章全体が「オデュッセイア」のキルケーの場面に対応しています。舞台はダブリンの歓楽街ナイトタウン。神話の「男たちを魔法で動物に変える魔女」は、都市の夜が人間の欲望や本性をあぶり出す場へと読み替えられています。
セイレーンは、海上の岩場や島にすみ、甘美な歌声で船乗りたちを惑わす存在です。その歌を聞いた者は理性を失い、声のほうへ船を進めてしまいます。しかし近づいた船は岩にぶつかって難破し、船乗りたちは命を落とします。つまりセイレーンは、「美しい誘惑」と「破滅」が一体になった存在なのです。現在では人魚のイメージでも知られますが、古代ギリシャ美術では、女性の顔をもつ鳥の姿で描かれることもありました。
ちなみに、スターバックスのロゴに描かれているのも、セイレーン。コーヒーの誘惑の歌で、行き交う人々を惑わせているのかもしれません。
スキュラとカリュブディスは、海峡の左右にひそむふたつの脅威です。スキュラは岩場にすむ怪物で、一般には複数の頭をもつ恐ろしい存在として描かれます。海峡を通る船に襲いかかり、船員をさらって食べてしまうため、オデュッセウスも部下6人を失うことになります。一方のカリュブディスは、怪物というよりも巨大な渦潮のような存在です。日に何度も海水を飲み込み吐き出すため、近づいた船は丸ごと海に吸い込まれてしまう危険があります。スキュラが「数人を失う恐怖」なら、カリュブディスは「船もろとも沈む恐怖」。片方に寄ればスキュラに襲われ、もう片方に寄ればカリュブディスに飲み込まれる。まさに「どちらを選んでも破滅」という、逃げ場のない海の難所だったのです。
英語では今も “between Scylla and Charybdis” という慣用句があり、「どちらを選んでも危険な板挟みの状況」という意味で使われます。
このように「オデュッセイア」に登場する怪物や魔女たちは、単なる冒険の敵役にとどまらず、のちの文学や芸術、現代のエンターテインメントにも受け継がれる、豊かなイメージの源泉となっているのです。
「オデュッセイア」が長く読み継がれてきた理由は、怪物との戦いや奇想天外な冒険だけではありません。物語の核にあるのは、あくまで「帰郷」です。
オデュッセウスがめざすのは、勝利でも征服でもなく、妻ペネロペと息子テレマコスが待つ故郷イタケーへ帰ること。戦争という大事件の「その後」から始まり、英雄が名誉を得るためではなく、自分の居場所を取り戻すために旅をする構造。戦争が終わったあとも続く人生の物語。そこにこそ、現代の読者にも響く普遍性があるといえます。
怪物との戦い、神々の試練、誘惑と喪失、そして家族の待つ場所へ帰ろうとする強い意志。そこには、愛や欲望、裏切り、誇りといった、人間の根源的な感情が幾重にも織り込まれています。2800年にわたり読み継がれてきた古典を、クリストファー・ノーランがどのように映像化するのか、期待が高まります。
次回の記事では現代に残る「オデュッセイア」(原作)のモデルとなった場所をご紹介します。お楽しみください。
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