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「サンフランシスコで一度は、食べる物は?」
多くの答えは 「クラムチャウダー」 アサリのスープですが、
そのパンが(酸っぱい)×2 結構クセのある食べ物で、その話‥。
1848年革命の影響でフランスから大勢の移民がやってきました。 その中に、ブルゴーニュのパン屋の息子、イシドール・ボーディンさんもいました。 金鉱掘りで大賑わいの翌49年、粉とお水で作ったパンで商売を始める。
このパン生地ですが、小麦粉に水を混ぜ "お団子" を作り部屋の中に置いときます。 そうすると小麦粉中の酵素とお水で "糖" ができます。 空気中には乳酸菌が漂っているのですが、乳酸菌の好物が糖分です。 これらで出来るのが "酵母(ホワイトサワー種)" です。 半日くらいでお団子は膨らみ始め翌日には落ち着きます。 そんな事が、小麦粉団子の中で起こっていて、膨らみ中にできる乳酸で酸味が生まれます。
新鮮な小麦粉と水を定期的に補給し、温度等の環境を管理する事で、乳酸菌と酵母がうまく馴染み良いお団子となります。 このお団子が "サワードゥ" です。 親しみを込めて 『マザードゥ』 (母なるパン生地)とも呼んでいます。
人工的ふくらし粉がなかった頃は、フランスパンもこのように作られていたので、パン屋の息子にはどうって事ない行程でした。
マザードゥの酵母と乳酸菌の割り合いは、気温、湿度、標高によって違います。 同じ団子を使っても出来上がるパンは場所によって違います。 なのでパン屋さん独特の風味となり顧客にとっては、「おふくろの味」 になります。
この街は、1906年に大地震が起きています。 その時既にイシドールさんは亡くなっていましたが、奥様のルイーズさんは、ゴールデンゲートパークへ避難する際、マザードゥを持ってゆきました。 そこでもマザードゥの一部を使いながら毎日パンを焼いていました。 いつしか彼女は、「フレンチコロニーの社会的指導者」 と呼ばれフランス移民の方達にとっては、母のような存在となりました。
ママの味の酸味は、海産物と相性がよいので、"ブレッド・ボゥル" と呼んでいるパンに入ったクラムチャウダーは、王道の食べ方でクセにもなる食べ物なのです!
このボーディンのクラムチャウダーは、フィッシャーマンズワーフをはじめ、ユニオンSQのメイシーズ・デパートでも食べる事ができます。
では、「いただきま〜す!!」
www.boudinbakery.com/
余談‥。 サワードゥブレッドが、ドッシリと "モチモチした食感" は、通常、醗酵過程で発生するCo2でパンが膨らんでいくのですが、乳酸の影響で酵母はあまりCo2を発生さません。 また、生地のグルテンがタンパク質分解酵素で弱められ、粘り気が少なくなる為に発生したCo2が抜けてしまいます。 なので焼き上がったパンの隙間が少なくて密度のあるパンになるのです。 ⇒ そう言えば母のお尻もどっしりしてるわ。