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オべリスコ
Obelisco
ブエノスアイレスのシンボル。独立記念日の7月9日の名前を冠した大通りAv. de 9 de Julio(ヌエベ デ フリオ)とCorrientesコリエンテス大通リの交わった場所に立つ、67mの高さでそびえる白い塔。
国家歴史モニュメント。1936年5月23日に3月から着工して60日という異例の速さで完成された。
当時、ブエノスアイレス建設400年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを称えるモニュメントがなかったため、トゥクマン出身のドイツ系建築家アルベルト プレビッシュに依頼。プレビッシュによるとシンブルな形をしながら、近代国家にふさわしいモニュメントにしたかったとのことである。
この場所はサンニコラス デ バリという寺院があった。1812年そこで初めてアルゼンチン国旗が掲揚された記念すべき場所である。
しかし、街にそぐわないと解体へブエノスアイレス市議会で可決されたこともあったが、それも乗り越え、今ではブエノスアイレスの街に来たら必ず見るべき、なくてはならないシンボルである。
このオベリスコを囲む広場がプラサデ ラ レプブリカ(共和国広場)で、アルゼンチンの23州の州章を見ることができる。
また、アルゼンチン人にとって、オべリスコに集まるというのは重要な心の拠である。
サッカーの試合でひいきのチームが勝てば、その夜集結する場所であり、さらに、ワールドカップでのアルゼンチン代表の勝利の栄光を一緒に分かち合う場所でもある。
その一方で、ブエノスアイレス市の文化催事の一番のステージがあれば、この広場に特設されていた(2013年にメトロブス開通でこの役割は5月大通りと他の文化施設に移動)
また一方で、各種方面の主張を行う、デモ集会の格好の場所でもある。
オベリスコのある7月9日大通りは1936年4月からの、街の拡張工事で作られた。
一番広いところで幅140mであり、世界で一番広い通りという、アルゼンチン人の自慢の種である。一度にわたりきるのはブエノスアイレスっ子でも不可能である。
走って二度で渡るのが通常だ。
なお、正式には一番端の道セリート、カルロス ペレグリー二とそれぞれまた別の名称がある。
下からオベリスコ
メトロブスから見たオベリスコ
ピアソラ広場から見たオベリスコ
Diagonal Norte ディアゴナル ノルテ、5月広場へ斜めに続く道から見たオベリスコ
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