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日曜日ナパに向かう途中で、12号線(121号線)は道路閉鎖となっていたけど、どうも開通したようだったので行ってみることにした。
数分も走ると火事の跡。
開通したのでもう少しマシなのかと思ってやっぱり来なきゃよかったと少し後悔した。
牛さんが草をはんでいる。 焼け野原ではあるけど、奥の方には緑の木が見えるしさっきの所ほど真っ黒じゃないので同じ焼け方でもサッと炎が通ったという感じなのだろうか、あまり火事の現場はみたことがないので違いについては分からないけど、きっと専門家が見ればどう焼けたのか分かるんだろうな。
牛さんがのんびりいられるというのは燃える心配はないのだろうが、私の見立てだ。
『ソノマプラザ(Sonoma Plaza)』に到着。 目の前にはバークレー警察の車両、すれ違いの救急車はどこの町なのか全く知らない町の名前が書いていた。
日曜日の午後は賑わっているはずのソノマプラザに人っ子一人いない。 これから悪魔のような炎がやってくるのだろうか?
ミッショントレイル最終地で21番目の教会『ソノマ・ミッション(Mission San Francisco Solano)』はとにかくいっぱい写真を撮った。 1823年にできたカリフォルニア州歴史的建造物にも指定されている。 オフィスも閉まり1組のご夫婦が一所懸命写真を撮っていた、そして「貴方も私たちと同じ考えね」と寂しそうな表情で声をかけてきた。
こんなにお天気がいいのに、このすぐ近くには地獄絵のような凄まじい炎が町を狙ってるんだ。 ひょっとするとひょっとする事が起こるのか…。 この火事はワインカントリーの歴史もそうだけど、カリフォルニア州の歴史を書き変えるほどの大惨事なのがひしひしと感じた。
確認しておきたかったワイナリーがあったのだけど、やはり通行止め。 少し離れたところには迷彩服の軍関係者と思われる方も待機していてた。
休憩中の隊員達、彼らも疲れはピークなはず。
頑張ってしか言えない。
消防、救急、散水車、軍関係の車両が行き交う中『ソノマ市庁舎(Sonoma City Hall)』は凛としていた。 建物で動くはずないけど "この地を守ってみせる立ち向かって行く姿" がみえた。 とにかくこれが最後の写真にならないようにと願いながら一所懸命撮った。
>>>>翌日(16日月曜日)
ソノマの知人から「とりあえずソノマ(自宅周辺)は何とかおさまった、一週間は生きた心地がしなかった」と知らせが入り、聞けば軍関係の息子さんは消火活動で近郊の町に駐屯だったそうだ。 "それは彼の使命" と文中にあった…。
余談
ソノマプラザの一角に、血気盛んな声が聞こえた場所があった。 『ステイナーズ(Steiners)』町で唯一のスポーツバー。 皆で火事との戦い(Fire Fight)のために集まっていたのかと思っていたけど、ひょっとすると鎮火のめどもつき一杯飲みに来ていた人たちかもしれない。 普段なら絶対寄っていたが、さすがに入ることはできなかった。 落ち着いたら一杯飲みに行こうぅ。